【今日のタブチ】一流の脚本家が網走刑務所で見ていたものは、何だったのか──池端俊策氏が教えてくれた「過去を知らなければ未来は描けない」という真理
放送批評懇談会『GALAC』9月号の巻頭インタビュー「THE PERSON」は脚本家の池端俊策氏だった。私も過去に、この「THE PERSON」で取り上げてもらっている。
池端氏には、ドラマ『破獄』で素晴らしい脚本を書いていただいた。いまでも鮮明にそのときの記憶が残っている。池端氏に脚本を引き受けてもらう条件は、「シナリオハンティング(略してシナハン)」、つまり脚本を書くための下見をすることだった。
ということで私と池端さんは、二人きりで網走に向かった。ドラマ『破獄』は、昭和の時代の戦前から戦後にかけて、4度脱獄を繰り返した「昭和の脱獄王」こと白鳥由栄氏をモデルにした、吉村昭氏の小説『破獄』を原作にしている。当時の網走刑務所は別の場所に移築されて、いまは観光名所となっている。したがって、現在の網走刑務所は当時の建物ではない。
だから私は、池端氏が「網走刑務所に行きたい」と言った時に、「行っても、変わってしまっているから意味がないのではないか」と思った。だが、それは浅はかな考えだった。疑問を呈する私に、池端氏は言った。
「建物は変わっていても、場所は一緒ですよね」
池端氏は、監獄から塀までの距離、刑務所の中の雰囲気、狭さや広さ、そういった“空気感”といったものを、感じ取りたかったのだ。
さらに、池端氏は網走刑務所で働く刑務官に話を聞きたいと言い出した。彼らがどんな緊張感を持って囚人と接しているのか、そこには覚悟や矜持はあるのか。池端氏の質問は、家族や給与の話題にまで及んだ。私は、池端氏の調査能力の凄さに舌を巻いていた。そして、自分の愚かさを恥じると同時に、池端氏の一流さを強く実感していたのだった。
今回の「THE PERSON」を読んで、そんな当時のことを思い出した。
特に印象的だったのは、「最近のドラマをどう見ておられますか?」という問いへの答えだった。
池端氏は、「最近は、過去を遡るよりも、現在や未来をどう生きるかを描くドラマが多い」と分析したうえで、こう述べた。
「ただ、過去を見ずに現在の関係性だけで人間を描こうとすると、奥行きが足りなくなることがある」
そして、自分たちの親世代がどういう生き方をしてきたかを見つめる視点は、今のドラマにあってもいいように思うと言及した。
深い分析だと感じた。現在や未来を考えるには、過去の蓄積が必要だ。まさに、いまAIがやっていることでもある。AIは人間の過去の研究成果や膨大なデータの蓄積から、現在や未来を予測し、新しいものを生み出している。
ふと、今朝読んだ新聞記事のことを思い出した。
AIが、これまで自然界に存在しなかった新しいウイルスを設計することに成功したという。米スタンフォード大学などの研究チームが科学誌『Science』で発表した研究で、人間に感染するウイルスではなく、大腸菌に感染するバクテリオファージだが、それでもAIが自然界にない新しい設計を生み出したという点で衝撃的なニュースだった。
恐ろしいことだ。“新しい”と聞くと戦々恐々としてしまうが、これも過去のウイルスのデータや特性から生み出されたものだろう。まったくのゼロから誕生したわけではないはずだ。
考えてみれば、人間も同じなのかもしれない。
池端俊策氏が網走の地を歩き、刑務官に話を聞き、建物ではなく「そこに流れる空気」を感じ取ろうとしたのも、過去の積み重ねの中から人間を描くためだった。現在だけを切り取っても、人は描けない。どこで生まれ、どんな時代を生き、何を見てきたのか。その蓄積があって初めて人物に奥行きが生まれる。
AIもまた、膨大な過去のデータを学習して未来を予測し、新たなものを生み出している。そして脚本家もまた、歴史や取材や体験というデータを蓄積しながら、新しい物語を生み出している。
池端氏が語った「過去を見ずに現在の関係性だけで人間を描こうとすると、奥行きが足りなくなることがある」という言葉は、ドラマ論であると同時に、現代社会への警鐘でもあるように思えた。
SNSもニュースも「今」ばかりが消費される時代だ。しかし、過去をたどる手間を惜しんだ瞬間に、人間理解は薄っぺらくなる。
網走で池端氏が見ようとしていたのは、古い建物ではない。その場所に積み重なった歴史だったのだと思う。
ドラマも、人間も、そしてAIさえも、過去の蓄積なしには成立しない。映像クリエイターも同じだろう。未来を描こうとするなら、なおさら過去を学ばなければならない。先人たちが何を考え、どんな作品を作り、どんな挑戦や失敗を重ねてきたのか。その蓄積を知らずに新しい作品を生み出そうとしても、どうしても薄っぺらくなってしまう。
だからこそ私は、未来を語る人ほど、過去に敬意を払わなければならないと思う。
あの日の網走で池端氏から教えられたことを、『GALAC』を読みながら改めて思い出した朝だった。
「テレビ東京公式HP」より


