【今日のタブチ】映画『山の郵便配達』の“崇高さ”はどこへ消えたのか――続く不祥事、その「元凶」は職業倫理の空洞化か

日本郵便の不祥事がまた一つ明るみに出た。近年だけを振り返っても、保険商品の不適切販売問題、配達現場での不正、そして今回の汚職。単発の逸脱では説明がつかない頻度である。「なぜこんなことが起きるのか」という問いに対して、私は制度や管理の問題だけでは説明しきれない根っこの部分を見ている。
それは、自らの職業に対する誇りの喪失ではないか。

郵便という仕事は、本来きわめて象徴的な意味を持っていた。国家が整備する通信インフラの末端でありながら、人と人とを確実につなぐ最後の担い手。そこに介在するのは、単なる労働ではなく、社会的な責任規律に支えられた営みだったはずだ。
そしてこの使命感は、日本の郵便制度そのものが長年にわたって極めて高い信頼評価を勝ち得てきたこととも無縁ではない。どんな場所にも確実に届く、時間に遅れない、誤配が極めて少ない——そうした「当たり前」が国際的に見ても高い水準で維持されてきた。
私自身が中学生だった1970年代、短期留学でアメリカに行った際、「手紙はちゃんと届かないこともある」と現地で言われた記憶がある。極端に聞こえるかもしれないが、切手が剥がされて届かない可能性すら話題に上るような時代だった。それに比べ、日本の郵便は「出せば届く」という信頼がほぼ無前提に共有されていた。この差は単なる制度の違いではなく、それを支える現場の倫理職業意識の違いを如実に物語っていたはずだ。

では、今はどうか。
先日、電車の高架下の道路を通っていたとき、郵便配達人のバイクが全速力で駆け抜けていった。そこは歩行者専用であり、自転車ですら降りて押して通らなければならない場所だ。その光景を見たとき、私は一瞬の違和感では済まなかった。「ルールを知らなかった」のではないと直感したからだ。これは知識の問題ではない。法を破ることへの感覚の問題であり、もっと言えば、自分の仕事が社会的にどのような意味を持っているのか、その自覚の問題だ。

私は映画『山の郵便配達』を初めて観たときの衝撃を今も鮮明に覚えている。
中国の山岳地帯を舞台に、父から子へと受け継がれる郵便配達の仕事。そこに描かれていたのは、効率でも利益でもない。「届ける」という行為の崇高さそのものだった。犬とともに山道を歩き続け、村々を巡り、人々と挨拶を交わしながら手紙を手渡す。その繰り返しの中に、言葉では説明しきれない尊厳が宿っている。
あの映画に登場する郵便配達人は、決して豊かではない。しかし、誇りは決して失っていない。むしろ外から見れば厳しい環境の中でこそ、自分の仕事の意味を確信している。その姿は、単なる職業人を超えて、一つの倫理的存在として映る。

翻って、現在の日本郵便の現場に同じ感覚は残っているだろうか。
合理化の名のもとに業務は細分化され、ノルマは数値化され、評価は短期的な成果で測られる。その結果、「なぜこの仕事をしているのか」という根源的な問いに向き合う機会は奪われていく。気がつけば、目の前の数字を達成することだけが目的化する。そこに倫理が入り込む余地はない。
海外に目を向けると、郵便配達という職業が依然として高い社会的評価を受けている国も少なくない。
公務員的な安定性に加え、公的サービスの担い手としての信頼が前提となっているからだ。つまり、制度と文化の両方が「誇り」を支えている。単に待遇の問題ではない。「社会にとって不可欠な役割を担っている」という認識が共有されているかどうかである。

日本でもかつては同様だったはずだ。高度経済成長期以前、郵便配達員は地域社会の顔であり、情報の媒介者であり、信頼の象徴でもあった。手紙一通に込められた人の思いを運ぶ仕事に、軽さは存在しなかった。そこには明確な倫理的重みがあった。
しかし今、その重みが失われつつあるのだとすれば、不祥事の頻発は必然に近い。規範は外からの監視だけでは維持できない。内側に何があるかでしか支えられない。誇りなき職場にルールをいくら積み上げても、抜け道を探す文化が生まれるだけである。

今回の問題を単なる「個人の資質」「一部組織の問題」として処理するのは容易い。しかし、それでは根本は変わらない。問われるべきは、なぜその場所で働く人々が、自分の仕事に意味を見出せなくなったのかという構造である。
『山の郵便配達』が示していたのは、効率とは異なる価値軸だった。時間がかかってもよい、利益が出なくてもよい、ただ「届ける」という行為に誠実であること。その姿勢こそが信頼を生む。そして信頼こそが、郵便という制度の根幹を支えている。
日本郵便の問題の「根源」は、制度のほころびにだけあるのではない。むしろ制度の合理化の過程で削ぎ落とされてきた価値、その空白そのものではないか。その空白を埋めるものは、自らの仕事に誇りを取り戻す以外にない

あの山道を歩く郵便配達人の姿を思い出すたびに、私は考える。この仕事は本来、もっと誇り高いものだったはずだ、と。

「西遊旅行HP」より

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