【今日のタブチ】桜美林大学・芸術文化学群が提示する新たな教育のかたち――俳優・奥菜恵と共創する“100分間の挑戦”

来週6月11日㈭、桜美林大学東京ひなたやまキャンパスにて、全学の学生・教職員を対象とした“芸術文化学群主催”の特別講座が、俳優・奥菜恵氏を迎えて開催される。
だが、本講座は、いわゆる単なる“著名人による”講演とは異なる
あらかじめ明確に設計された教育プログラムとして構成されている。

構造は三層から成る。
第一部は奥菜氏と私の対談、第二部は奥菜氏と学生との対話、第三部は会場全体での質疑応答である。

まず第一部では、私がインタビュー形式で奥菜氏に、中学・高校時代からデビューに至る経緯、初期の現場での経験、転機となった作品、さらに結婚・出産を経た後の仕事観まで、キャリアを時系列で整理しながら話を伺う。
ただし、この時間は単独で完結するものではない。
むしろ後半の展開に向けた「前提の共有」、いわば第二部への助走として位置づけている。
奥菜氏の経験を“素材”として引き出し、その場に提示することで、学生が“自らの問題”として引き受け、昇華させるための基盤をつくる。

講座の核心は、その後にある。
第二部では、事前に選抜された学生が登壇し、奥菜氏と同じステージで対話を行う。この学生たちは、学内で募集を行い、自ら手を挙げてくれた者たちである。
扱うテーマは、職業の現実、キャリアへの不安、仕事と人生の両立、そして表現者としての軸である。
ここで重要なのは、学生が奥菜氏に“質問を投げかける役”にとどまらない点だ。逆に、奥菜氏側からも学生にさまざまな問いかけがされる。お互いを知るために、対話を行う。私の狙いは、現在の社会に広がる“分断”を打破することにある。対話を経て相互理解が生まれる。その積み重ねこそが、格差社会を乗り越える出発点になると考えている。
このように講義は、あらかじめ用意された知識を受け取る場ではなく、その場で問いを生成し、関係を立ち上げる場へと移行してゆく

そしてその先にあるのは、“より広い他者との理解”である。第三部では、会場全体からの質疑応答を通じて、議論を拡張する。会場でそれまでの様子を聴講していた学生たちも“参加者”となり、講座の“当事者”となる。当事者意識を持つことが、問題解決の最適解であることは言わずもがなだろう。

以上のように、本講座は、「対談」「対話」「全体参加」という三層構造により進行する。
この構造こそが、本講座の本質である。そして、その中心にいるのが奥菜氏である。

経験を語るだけであれば、講演として成立する。
しかし本講座において奥菜氏は、単なる語り手ではない。“ストーリーテラー”でありながら、“インタビュイー”“インタビュアー”であり、そして同時に、学びや気づきの“プレゼンター”である。自身の経験を起点に、学生が問いを発し、思考を深める場を成立させる役割を担うのだ。言い換えれば、主役でありながら、同時に場の生成者でもある。

「芸能と大学の連携」、それはアカデミーの場では多くは見られない取り組みである。
しかし、実際には、それ以上に“教育の方法そのもの”に踏み込んだ試みであると考えている。
教室の中に、現場の経験と時間を持ち込む。しかもそれを、“観察”ではなく“当事者”として学生たちに経験させる。
本講座は、私が担当する市民大学に参加されていた奥菜氏の事務所社長からの提案がきっかけとなって実現した。

このユニークな設計に興味を持ってもらった複数のメディアから、すでに取材の打診をいただいている。彼らの視点には先見性がある。
著名人の登壇という点にとどまらず、学生がどのように関与するのかという構造に着目してもらった結果だと実感している。
誰が話すかではなく、学生がどのように問いを立て、何を受け取るのか。その点に関心を向けているという意味で、目の付け所が的確だ。

もっとも、講座の本質は当日の場にしか現れない。
学生がどのような言葉を発し、それにどのような応答が返るのか、教室の空気がどう変化するのか。
それは記録ではなく、現場で確認されるべきものだ。そしてその価値は、メディアなどの第三者の視点を通じて初めて外部に届くものでもある。
本講座は、単なる一回のイベントではない。現在の大学教育がどのように変化しつつあるのかを可視化する、一つの挑戦である。

デザイン:小西俊也

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です