【今日のタブチ】路上寝込み事故45件――なぜ人は道路で“酔って”眠ってしまうのか。私が考えた4つの仮説
昨晩は、大学時代に私が所属していた「十八人会」という法律サークルの同期や後輩と、祐天寺の激ウマ焼き鳥屋で飲んだ。その店とは、かれこれ15年以上の付き合いになる。
18時から飲み始め、約3時間半。ちょうど良いほろ酔い気分になったところでお開きになった。
「田淵さん、また来てね!一か月に一回くらいは顔出してよ!」と焼き鳥を焼く串を持ったまま声をかけてくれた横澤さんの気遣いが嬉しく、吹き付ける風が心地よく感じた。
帰り道、自宅マンションの近くで縁石に腰掛けている男性を見かけた。危険な場所ではない。ただ、かなり酔っているように見えた。声をかけようかとも思ったが、そこまで切迫した状況にも見えなかったので、そのまま通り過ぎた。
「大丈夫かな」そう思う反面、「気持ち良さそうだなぁ」という少しだけうらやましい気持ちも正直あった。
夏の夜風を受けながら、好きな酒を飲み、街の片隅でぼんやりする。若い頃なら私もそんな経験がなかったわけではない。
ところが翌朝、新聞である記事を目にした。
東京都内では昨年、路上寝込み事故が45件発生し、6人が亡くなったという。夏場に増加する傾向があり、死亡率は2割を超える。
そこで私は考えた。
なぜ人は道路で寝てしまうのだろうか。
そして、なぜこの事故は後を絶たないのだろうか。
単純に「飲み過ぎだから」と片付けることもできる。しかし、それだけでは何か大切なものを見落としているような気がする。
私は今回、この問題について4つの仮説を立ててみた。
一つ目は、現代人の疲弊である。
近年、「生きづらさ」という言葉を耳にする機会が増えた。
仕事への不安。収入への不安。老後への不安。人間関係への不安。社会にはさまざまなストレスがあふれている。
酒は昔から憂さ晴らしの手段だった。もちろん大半の人は適量で楽しむ。しかし中には、現実を忘れるために限界まで飲んでしまう人もいる。
路上で寝込む人たちは、単なる酔っぱらいというより、どこかで「もう今日はこれ以上頑張れない」と感じている人たちなのではないか。
二つ目は、日本特有の飲酒文化である。
海外へ行くと感じることがある。繁華街で大声を出して酔っ払っているのは、意外に日本人観光客だったりする。
もちろん例外はある。しかし欧米をはじめ、多くの国では人前で泥酔することは恥ずかしい行為と考えられている。
一方、日本には昔から「潰れるまで飲む」「記憶をなくすまで飲む」「今日は飲み切った」という文化が存在してきた。酒を楽しむというより、「酔うこと」そのものが目的化している側面がある。
路上寝込み事故は交通問題ではなく、日本の飲酒文化が生み出した副作用なのではないか。
三つ目は、酔客を受け止める街のクッションが失われたことである。
これは私自身の感覚でもある。昔の飲み屋街には、もう少し人情があったような気がする。
しんどそうにしていれば「水を飲んでいきな」と水を出してやり、飲み過ぎた客には「少し休んでいけ」「タクシー呼んでやろうか」と声をかける。そんな言葉が自然に飛び交っていた。
もちろん昔を美化するつもりはない。ただ、現在は飲食店も大変である。
人手不足。物価高騰。家賃上昇。回転率の確保。会計が終われば、次のお客さんを入れなければならない。店側に余裕がなくなっている。酔客の面倒を見る余力も少なくなった。
結果として、酔った人は街へと放り出される。
誰かが悪いわけではない。しかし、社会全体として見れば、酔った人間を受け止める緩衝材が薄くなっているように感じる。
昨晩、横澤さんが私にかけてくれた「また来てね」という言葉が妙に心に残っている。
たかが一言である。しかし、人は案外そういう一言で救われる。店と客という関係を超えて、自分の存在を気にかけてくれている人がいる。そう感じるだけで、少し元気になれる。
昔の飲み屋には、そんな役割もあったのではないだろうか。
四つ目は、孤独化と居場所の喪失である。
昔なら同僚が送った。友人が送った。近所の人が声をかけた。
ところが今は単独行動が増えている。一人飲みも珍しくない。飲み会そのものも減った。
つまり、酔った人を止める最後の“他者”がいない。さらに深夜の都市には居場所も少ない。駅は閉まる。店は閉まる。休憩できる場所も少ない。気がつけば、「そこにいてもいい場所」がどこにもない。
その結果として、人はコンビニの前で座り込み、公園で横になり、最終的には道路で寝てしまう。
私は、この三つ目と四つ目は表裏一体ではないかと思っている。
街から人情が消え、人と人とのつながりが薄くなる。その先にあるのが、居場所を失った人たちの姿なのかもしれない。
路上寝込み事故は、交通事故の形をとっている。しかし、その根っこには孤独や社会の変化が潜んでいるのではないか。もしそうだとすれば、単なる交通安全対策だけでは解決できない。
ハイビームの活用や安全運転はもちろん重要だ。運転する側の気づきも大切だろう。だが、それと同じくらい、「なぜ人は道路で寝てしまうのか」という問いと向き合う必要がある。
昨晩、私が見かけたあの男性は、その後無事に帰宅しただろうか。それとも、あのままどこかで眠り込んでしまったのだろうか。私には分からない。
ただ、あの時感じた「気持ち良さそうだなぁ」という感覚が、今は少し違って見える。
路上寝込み事故45件。その数字の向こうには、単なる酔っぱらいではなく、この社会の疲れや孤独、そして居場所を失った人々の姿があるのではないだろうか。
「埼玉県交通安全協会」HPより


