【今日のタブチ】都議会選の街頭演説にモヤモヤしているのは私だけなのか?~「小泉劇場」同様に「偏向報道」が繰り返される理由
都議会選の街頭演説を聞いていると、「小池都知事が応援に駆けつけてくれます!」や「小池都知事の右腕としてー」などの発言が目立つ。なぜ小池都知事におんぶにだっこみたいな演説しかできないのか?
「もっと自分の意見言いなさいよ!」と思っているのは私だけだろうか?
と思っていたら、実際、都議会選をめぐる報道や論評の中でも、「小池都知事頼み」の選挙戦術に対する違和感や批判は複数見られる。
たとえば、読売新聞は都議会での各党の動きを報じる中で、「小池知事との距離感」をアピールする候補者と、「知事与党」としての立場を強調する候補者の両方がいることを紹介。特に都民ファーストの会は「小池知事と東京大改革を進めてきた」と明言し、知事との連携を前面に出している。
一方で、共産党や立憲民主党などは「知事与党のチェック機能が働いていない」と批判し、都政の透明性や議会の独立性を訴えている。
こうした構図からも、候補者自身の政策や理念よりも「小池ブランド」に依存する選挙活動の姿勢が顕著である。あまりにも「小池都知事中心」にすべてが動いている。賛同者は仕方がないとしても、反対者は「相手の否定」から入るのではなく、「自らの意志」をしっかりと表明することから始めてみてはどうか。
そして今回の都議選においても、平成の米騒動における「小池劇場」的な偏向報道が見られることに警鐘を鳴らしたい。
日本民間放送連盟のウェブマガジン「民放online」の記事では、2024年の都知事選を振り返りながら、マスコミが「小池氏 vs 蓮舫氏」の構図に固執し、実際に2位となった石丸氏の動向を過小評価していたと批判している。これは、報道が現実の「民意」とズレていたことを示すもので、まさに「劇場型報道」の弊害といえるだろう。
また、テレビ局が放送法の制約を理由にネット上でも自主規制を強めている現状が、結果的に報道の多様性や深度を損なっているという指摘もある。これによって、YouTubeなどの新興メディアが「空白」を埋める形で影響力を増しているが、単にその現象だけを取り上げて「テレビメディアの敗北」と分析するのは浅はかだ。これは自主規制という内的な要因によって、報道機能が自らを制限している構造的問題と言える。そうした空白を新興メディアが埋めているという構図は、メディア環境全体の変容を示すものであり、一概に「敗北」と断ずるのは早計である。だが、結果として報道の多様性が狭められているという事実は否めない。
メディア、特にテレビ報道が「小池都知事の動向」ばかりを追うことで、候補者個々の政策や主張に十分な光が当たらなくなっている。それは、私がプレジデントオンラインで指摘したように、「小泉劇場」や「米騒動」で露見しているテレビの欠陥や悪癖という点にも共通している。
この話題、授業で取り上げても面白そうだ。「政治的ブランドと候補者の主体性」というテーマで学生が演説の比較分析をするとか、「報道フレームと政治的パーソナリティの演出」というテーマでテレビとネット報道の映像比較をするといった内容はとても刺激的だ。
良い授業ネタをもらった。都知事選に感謝しよう。
「NHKニュース」より