【今日のタブチ】私にとってもそう遠くない「未来」……イギリスの下院で「安楽死法案」が可決~なぜ日本では安楽死に賛成する人が多くないのか分析してみた

イギリスの下院が20日、終末期の成人患者が安楽死を選ぶ権利を認める法案を採決し、賛成多数で可決した。このあと上院の審議に移り、そちらでも可決されれば、法制化が進むことになる。世論調査によると、イギリスでは国民の7割以上がこの法案を指示しているという。
医師2人のほか、精神科医、福祉や法律家の専門家らの承認が必要だというが、いかにも欧米らしいと感じた。苦痛に耐え続けるより「尊厳ある最期」を選択する権利があると考える風潮が強いからだ。
現在、安楽死や医師幇助自殺を法的に認めている国・地域は、欧米を中心に増加傾向にある。
安楽死における世界の潮流の主な特徴は以下の2つだ。この2点の「拡大化」が急速に進んでいることに危惧を抱いている
1.合法化の拡大
医師が致死薬を投与する「積極的安楽死」は、 オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、コロンビア、スペイン、ニュージーランド、およびオーストラリアの多くの州で合法化されている。
医師が処方した薬を患者が自ら使用する「自殺ほう助」は、スイス、オーストリア、アメリカの複数の州(オレゴン州などが先駆け)、ドイツ(憲法裁判所の判決による)などで合法化されている。
いずれも拡大傾向だ。
2.対象疾患の拡大
当初は末期がんなど、身体的な耐え難い苦痛を伴う終末期の患者に限定されることが多かったが、近年では精神疾患(うつ病、認知症など)に対しても安楽死が認められるケースがオランダやベルギーなどで出てきており、これについては倫理的な議論が活発に行われている。
また、私が警鐘を鳴らしたいのは、「医療観光」の存在である。スイスのように、外国人や外国在住者でも医師幇助自殺を利用できる国があり、これを目的とした「医療観光」が増加している。「医療観光」の中でも、特に安楽死を目的とした渡航は「デス・ツーリズム」と呼ばれている。嫌な言葉だ。死を観光の対象とするという概念自体に私は抵抗がある。また、死を商業的に利用していることには違和感をぬぐえない。
もちろん、当事者や家族にとってみれば深刻な問題であることは百も承知だ。だが、どうしても感覚的についていけないのだ。
安楽死の「医療観光」が抱える問題点は、臓器移植における国際的な課題と照らし合わせることで、より深く理解することができる。両者には、生命の尊厳、倫理、公平性、そして国境を越えた医療行為の規制という共通の論点が存在するからだ。
安楽死の「医療観光」は、臓器移植における「移植ツーリズム」や「臓器売買」が提起した問題と同様に、生命に関わる医療行為が国境を越えて行われる際に生じる倫理的、法的、社会的な課題を浮き彫りにする。臓器移植が「生命を救う」という善意の裏で不公平や搾取のリスクをはらむように、安楽死も「自己決定権の尊重」という理念の裏で、意図せぬ形で弱者が追い込まれたり、生命の尊厳が軽んじられたりする可能性を秘めているからだ。
日本において安楽死を認める人が多数ではないのには、日本人古来の「生を全うする」という価値観や「死」に対する考え方などの倫理観・宗教観が関係している。医療現場や医師の「患者の命を救う」ことが医師の本質的な役割であるという倫理観も影響しているだろう。「緩和ケア」の充実や延命治療の中止や差し控えを事前に意思表示する「リビングウィル」や「尊厳死」について一定の理解が広がっているという理由もある。
私にとってもそんなに遠くもない、将来の課題。家族に迷惑もかけたくない、そんな思いもある……。

「ABEMA news」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です