【今日のタブチ】フジテレビの新体制発表は「木を見て森を見ず」だ~舞台背景なき劇場の幕は上がらず、観客も戻らない…何が「木」で「森」かを指摘する
数日前に発表されたフジテレビの新体制は、「木を見て森を見ず」だと感じている。
今期のドラマで最後まで視聴したもののなかに、TBSの『イグナイト-法の無法者-』がある。このドラマは脚本家であり企画プロデューサーでもある畑中翔太氏が企画・脚本・プロデュースを手掛けた骨太の作品だ。なかなかよく伏線が練られていて(そのため少しギミックに走りすぎているきらいは否めないが)、最後まで楽しませてもらった。その最終回でも主人公演じる間宮祥太朗氏が官房長官役の杉本哲太氏に向かって、「木を見て森を見ずだ!」と言い放つシーンがある。
そもそも、「木を見て森を見ず」とはどういう意味なのか。
英語の「You can’t see the forest for the trees」の訳語とも言われるが、一般的には「物事の一部分や細部に気を取られて、全体像や本質を見失うこと」を指す。しかし、それはあくまでも〝表面的な〟意味であり、〝本質的な〟意味は以下のような「2つの欠如」であると私は考えている。
1.「分析と統合」のバランスの欠如
物事の細部を丁寧に見ることは重要だが、それが全体の文脈や構造と切り離されると、判断や行動が的外れになる。例えば、テレビの場合、番組の視聴率だけを追い求めるあまりに、メディアの公共性や社会的責任が軽視されるような状況だ。今回の場合も、会社の経営ということが最優先され、実はその会社は「放送メディア」であることを後回しにしている。
2.「見えているつもり」で「見えていない」という構造的欠如
人は自分の関心や立場に引き寄せられて物事を見がちだ。その結果、見えている「木」が実は選択的なものであり、「森」の全体像を無意識に排除していることもあり得る。本人の意思であるという前提で話をするが、新社長に就任する清水氏は「会社の立て直し、刷新」という「自分の関心事」にとらわれている。そこには「社長」という「立場」もあるだろう。そのことによって選択が限定的にならざるを得ない。
では、今回のフジの組織改革(新体制)のどういった点がそうだと考えられるのか?
ポイントは、「改革」という装いのなかに、構造的な視野の狭さが潜んでいるのではないかという批判的精神だ。「木」=目に見える改革は以下のようなものだ。
1.取締役の大幅な入れ替え:社内出身の取締役・監査役のほとんどが退任し、社外出身者が過半数になったこと。
2.女性取締役の比率を3割以上に:多様性の象徴として打ち出されているが・・・。
3.平均年齢の引き下げ:67.3歳から59.5歳へと若返りを図ったとされている。
4.AI・データサイエンスやグローバルビジネス経験者の登用:未来志向の人材配置としてアピールされている。
そして、それに対して「森」=見落とされている本質的な課題とは何か。
1.番組コンテンツの刷新に関する言及がない:経営体制の改革は語られても、視聴者との接点である番組の中身や制作哲学への言及が乏しい。
2.「メディアの公共性」への視座が希薄:ガバナンスや多様性は強調されているものの、報道倫理や社会的責任といったメディアの根幹に関する議論が見えにくい。
3.「視聴者」ではなく「株主」へのアピールに偏重:改革の文脈が、信頼回復というよりも企業価値向上のためのガバナンス強化に寄っている印象がある。
4.「人材の刷新」が「思想の刷新」に結びついていない:肩書きや属性の多様性は増しても、メディアとしての使命や価値観の再定義がなされていない。
そして何より、5.もともとの発端となった「性加害事件」がなぜ起こったのか、の解明を避けている、という点が問題だ。
「誰が経営するか」ではなく、「何を伝え、どう社会と向き合うか」が本質であるはずだ。
今回の改革は、番組のセットを一新して見た目を整えたものの、脚本は変わらず、演出には目を向けず、肝心の「なぜこの舞台が破綻したのか」という問いの答えにもなっていない。改革はそのすべての「森」を見て解決し、初めて果たされる。
舞台背景なき劇場の幕は上がらず、観客も戻らない。
「TBS NEWS DIG」より