【今日のタブチ】Netflix『地獄に堕ちるわよ』の“覚悟の正体”――なぜ、細木数子をサクセスストーリーにしなかったのか
Netflix『地獄に堕ちるわよ』を見た。
旧知の瀧本智行監督作品、そして私の弟分(勝手にそう思っているだけだが)の稲本響氏の音楽監督作品とあっては、観ないわけにいかない。
全編を一気見して、驚愕した。
正直に言えば、「立身出世もの」だと思っていた。公開前から話題になっていたので、皆さんもご存じのように、本作品は、細木数子氏を想起させる人物の人生を描いたものだ。彼女が生来の貧しさからどんな成功を収めていったのかという“サクセスストーリー”かと思って観ていたが、まったくそうではない。
よくぞ、ここまで“踏み込んで”描き切った。
そう称賛したい。
作品では、細木氏の人生を小説にしようとする作家の葛藤も並行して描かれるが、この作家がどれほどの覚悟を持って細木氏の人生と対峙し、どこまであからさまに真実を描けるかということが核心となっている。その姿はまさに、この作品を創った監督をはじめとするクリエイターたちの矜持と重なって見えた。
墓石を売ってキックバックもらっている、霊感商法まがいのことをやっている、マスコミは知ってはいるがアンタッチャブルでそんなスキャンダルを取り上げることはない。そんな暴露は序の口だ。
人に食いものにされてきたから、人を食いものにする術も知っている。など、よくぞ表現できたものだ。瀧本監督の腹の座りようには、完全脱帽だ。
もちろん、本人は亡くなっているから可能だったという指摘もあるだろう。だが、“亡くなっている人だからこそ”なかなかあそこまでは描けない。それを瀧本氏はやり切った。そのことだけでも称賛に値する。
私は、かつての任侠映画や『鬼龍院花子の生涯』をはじめとする五社英雄作品を観ているような錯覚に陥った。そういえば、『鬼龍院花子の生涯』は仲代達矢氏が主演だった。
多くのサイトなどで取り上げられているように、戸田恵梨香氏の演技は見事だ。ずっとその顔を観ていると、段々と「憎たらしく」思えてくるから不思議だ。歳の取り方も自然でいい。特殊メイクスタッフの優秀さがよくわかる。
そして、秀逸なのが音楽(劇伴)だ。
劇伴と言うにふさわしく、ある時は寄り添い、ある時は映像や演技を助ける、伴走者のような役割をしっかりと果たしていた。これは、大河ドラマも手掛けた稲本氏の経験と力量に裏付けされたものだ。
ムードがいいところで流れるピアノ曲は至極。稲本氏はピアニストでもあるので、ピアノソロが冴えわたる。細木氏の笑い声がコラージュされた曲や進軍ラッパをイメージしたような曲も素晴らしい。すべての曲にアラがない。エンドクレジットに流れる曲が毎回異なるのも、趣向が凝らされていると感服した。
以上のように本作は、出演者、スタッフ一人ひとりの覚悟や矜持、そして魂がこもった作品だと感じた。私なりの結論を言えば、この作品の“覚悟の正体”とは、「美化しないことを選び、やり切った姿勢」そのものにある。
だが、褒めるばかりではいけない。愛するが故、評価するが故、最後に一点、あえて苦言を呈することにする。
伊藤沙莉氏が演じた作家・美乃里の下りは、本当に必要だったのか。
私はそう感じた。
前述したように、確かに美乃里の葛藤とスタッフの覚悟は呼応している。だが、(ここからは多少ネタバレが含まれるので要注意)最後に美乃里が至った結論は、細木数子を正当化し、物語を凡庸なサクセスストーリーに引き戻してしまった感が否めない。また、彼女を「普通の人間」に見せてしまい、その存在自体を矮小化してしまった恐れがある。私的には、細木氏は最後まで“狂気的”であってほしかった。
このように、細木氏の「人となり」の解釈は、もう少し視聴者に委ねてもよかったのではないかと感じている。
しかし、本作が卓越したものであれことには変わりはない。
コンプライアンスが厳しいこの時代に、ここまでやり切った『地獄に堕ちるわよ』に、改めて拍手を贈りたい。
「Netflix」公式HPより


