【今日のタブチ】小学校教員の盗撮、科捜研職員の不正、映画監督の謝罪――その違いを分けた“たった一つのもの”
昨日のブログに「仕事への誇り」について書いた。今日の新聞には、その「仕事への誇り」を揺さぶるニュースが並んでいた。
「仕事への誇り」は人間としての“尊厳”、とも言い換えられる。
私たち人間は日々、何のために生きているのか。還暦を過ぎて、そのタイミングで教職という世界に飛び込んだ私は、そういったことをよく考えるようになった。
食べるために生きている。これも正しい。だが、本質はそうなのか。食べるためだけではない。
私は、「生きがいこそが尊厳」ではないかと考えている。
“尊厳”とは、「自分が何のために存在するのか」「自分の社会におけるドラマツゥルギー(社会における役割)は何なのか」を理解していることなのだ。「自分が何のために生きているか」という問いを「自分が何のために存在するのか」「自分の社会におけるドラマツゥルギー(役割)は何なのか」に置き換えることができ、その答えを知っていること。それが“尊厳”を保っているという状態なのだ。
そんな視点で、今朝のニュースを見てみる。
随分と「仕事への誇り」を失い、生きている意味の“尊厳”を取り違えている人が多い社会になったなぁという思いを強くする。
名古屋市立小学校の教員が子どもの盗撮をおこなった事件で、懲役3年6か月の実刑判決を受けた。その一方で、東京都の公立小学校で女児4人の下着を盗撮した疑いで、教員が逮捕されている。容疑者の男性は「仕事のストレスを発散するためだった」と述べている。
そして、その記事の横には、佐賀県警の科捜研でDNAの鑑定をおこなう職員が不正を繰り返していたというニュースが報じられている。資料紛失などによって捜査不可能になった事件の可能性があるという。
これらはどれも、「仕事への誇りの欠如」が背景にある事件だと私は感じている。彼らは、生きてゆくための“尊厳”という基盤そのものを見失ったのだ。自分は何のために存在するのか、それがわからなくなった人生は、むなしいものだろう。
転じて、映画監督ビム・ベンダース氏のニュースだ。1975年の自身の作品『まわり道』で撮影時に13歳だった女優を上半身裸で出演させたことを詫び、テレビ局や配信会社などに一般公開や配信の停止を指示した。
この措置に関しては、「行き過ぎ」や「表現の自由を損なう」「今と時代が違う」などの様々な意見があるだろう。そういった議論はここではさて置き、私はこのベンダース氏の行為を、「尊厳に基づく自己訂正」として高く評価する。
では、「今の私はどうか」と自らに問い返す。
私はいま、学生との交誼に“生きがい”を感じている。特に、ゼミ生との関りや日々の会話、やり取りが楽しい。そして、彼らの成長が楽しみだ。
ドラマなどの撮影現場の見学や研修にでかけると、私の想像以上の“学び”や“気づき”を得て、帰ってくる。毎回、こういった学外学習の際には、学生に「学びのレポート」というのを提出してもらっている。書くときのポイントは、初めて観たり接したことを「将来の自分にどう生かすか」に力点を置くようにと指導する。そうすると、毎回、素晴らしいレポートが上がって来て驚かされる。
若者たちの想像力、吸収力、そして発想力は半端ない。
その限界の壁をどれだけ取っ払ってあげられるか、それこそが今の私の“役割”であり、生きている“尊厳”そのものだと確信している。
女優のナスターシャ・キンスキーさん(左)とビム・ベンダース監督
=1993年5月、フランス・カンヌ(AFP時事)


