【今日のタブチ】配信で消えゆく2時間ドラマ――『ダブルエッジ』と『世にも奇妙な物語』に共通する「権力による隠蔽」と“当たり前になった不信”

久々に、2時間ドラマというものを観た。
最近は本当に少なくなった。配信に回したときに、1本単位だと効率が悪い。そうした事情もあってか、一時期は「サスペンスもの」が大流行したが、今や地上波ではめっきり見なくなった。

しかも、こういう時に限って2本“裏被り”する。テレビ朝日の『ダブルエッジ 甦った男』とフジテレビの『世にも奇妙な物語 ’26 夏の特別編』である。

『ダブルエッジ 甦った男』の方は、主演が織田裕二氏というのがまず珍しいと思った。近年、地上波で頻繁にお目にかかる印象はないからだ。さらに、織田氏がバディを組む相手がASD(自閉スペクトラム症)という設定になっている点も気になった。どのように演じられ、どこまで映像として説得力を持ちうるのか、映像研究的な関心から見た。

一方、『世にも奇妙な物語 ’26 夏の特別編』は、上川隆也氏が出演するということで、「どのような役どころを演じるのか」に興味が湧いた。

まず『ダブルエッジ』だが、ASDの刑事を演じた小野花梨氏は、なかなかよかった。早口になってしまう癖、音への敏感さ、生活習慣を崩さないマイペースさなど、ASDの特性をよく研究したのだろう。必要以上に誇張することなく、自然な表現に抑えている点に好感が持てた

織田氏も熱演だった。熱血ぶりは『踊る大捜査線』を彷彿とさせ、エンターテインメントとしては十分に楽しめる。特に印象に残ったのは車椅子の扱いだ。ひっくり返った状態から自力で乗り直すシーンがあるのだが、相当練習したであろうことがわかる。下半身不随という設定を、身体の使い方レベルで違和感なく演じていた。この点は細部のリアリティとして評価できる。

ただし、作品全体として見ると、どうしても「東映制作」的なベタな演出が目立った。例えば冒頭で、犯人役の音尾琢真氏に「連続殺人犯」という説明テロップが入る。これはさすがに興覚めだった。この程度の情報は、物語の進行や演出によって観客に理解させるべきであって、最初から説明してしまうのは、いささか観客を信用していない作りに見える。このあたり、テレビ制作者はもう少し視聴者の読解力を信じてもいいのではないかと思う。

一方の『世にも奇妙な物語』。上川氏は、組織の内情に深く関与しながらも、ある出来事をきっかけに立場が揺らいでいく人物を演じていた。物語が進むにつれて見えてくる“もう一つの顔”が鍵になる役どころである。上川氏は、期待通りにしっかりとした演技を見せていた。いわゆる“どんでん返し”における感情の振れ幅を丁寧に表現しており、さすがという感じだった。

織田氏58歳、上川氏61歳。どちらも私とほぼ同年代である。こうして第一線で存在感を発揮し続けている姿を見ると、率直に「頑張っているな」と思う。同時に、自分ももう少し踏ん張らねばならない、と素直に思わされた。

そして最後に、偶然とは思えない共通点について触れておきたい。

織田氏の『ダブルエッジ』、そして上川氏の『世にも奇妙な物語』。両作品とも、日本の権力層によって事件が隠蔽されるという構図を持っていた。これは単なる偶然なのか。少し考えてみる必要がある。

一つには、物語構造としての“手堅さ”がある。巨大な権力による隠蔽という設定は、短い時間で対立軸と緊張感を立ち上げるうえで非常に効率がいい。とりわけ2時間ドラマや単発作品のように制約の多いフォーマットにおいては、観客を一気に物語に引き込む装置として機能しやすい。

しかし、それだけでは説明しきれない印象も残る。こうした設定が、ほとんど説明なしに受け入れられてしまう前提そのものに、いまの社会状況が反映されているのではないか。つまり、「権力は何かを隠しているかもしれない」という感覚が、すでに特別なものではなく、ある種の前提として共有されているということだ。

さらに言えば、制作側の無意識も作用している可能性がある。視聴率や話題性が求められるなかで、観客の関心を引きやすいテーマが選択される。その結果として、個別の作品は独立して制作されているにもかかわらず、似たような構図や空気感が収斂していく。

そう考えると、この共通点は単なる脚本上の流行ではなく、「物語の作り方」と「社会の空気」と「視聴者の受け止め方」が重なった結果として現れているとも言える。だからこそ、出来すぎているように見えるのだろう。
そして本当に気になるのは、この構図に対して私たちがほとんど驚かなくなっていることだ。

『ダブルエッジ 甦った男』公式HPより

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