【今日のタブチ】甦った1994年イラクの記憶――少女がケーキの材料を探し回るだけなのに……映画『大統領のケーキ』が描き出した「日常の中の非日常」
今日、映画『大統領のケーキ』を見た。私が講師を務めている市民大学で、受講生の方に「先生ご覧になりましたか?」と勧められた。「ドキュメンタリーやっていた方なら、お好きだと思いますよ」と。こういうコミュニケーションは、講師冥利に尽きる。
映画の舞台は1990年代のイラク。サダム・フセイン政権下で、戦争と経済制裁によって国民生活が疲弊していた時代だ。主人公は祖母と二人で暮らす9歳の少女ラミア。彼女は学校のくじ引きで「大統領の誕生日を祝うケーキ作り」の担当に選ばれてしまう。材料を用意できなければ罰を受けるかもしれない。そこでラミアは友人とともに町中を駆け回り、ケーキの材料集めに奔走することになる。たったそれだけの話と言えばそれだけの話なのだが、その過程で当時のイラク社会の現実が浮かび上がってくる。
映画を見始めてしばらくして、主人公の家が映った瞬間に私は思わず「あ、マディフだ」と思った。
マディフとは、イラク南部の湿地帯に暮らす人々が葦で造る伝統的な建築物である。巨大なアーチ状の屋根を持ち、住居であると同時に来客を迎える共同空間でもある。映画では説明がほとんどないが、私はその独特の形を見てすぐに分かった。
なぜ分かったのか。
私は1994年、ドキュメンタリー番組の取材でイラクを訪れている。当時、南部湿地帯に暮らす人々を取材し、マディフの家にも泊めてもらった。この地に住む人々は「マアダン(湿原のアラブ人)」と呼ばれている。
その時に出会った女性たちの姿を今でも鮮明に覚えている。映画に登場する祖母とよく似た、顎や目の周囲に入れ墨を施した女性たちである。決して豊かな暮らしではなかった。しかし驚くほど明るかった。大声で笑い、客人である私たちを歓待してくれた。沼で捕れた魚を焼いて、「食べろ、食べろ」とレポーターである俳優の若林豪氏と私たちに勧めてくれた。葦の家々から次々に女性たちが集まって来て、大騒ぎになった。歓声と笑い声が沼地に響き渡った。
イラクはイスラム教の国にあって、決して女性の地位は高くない。だが、そんなことは微塵も感じさせない明るさと生きている力強さが彼女たちにはあった。
彼女たちの笑顔は、30年以上経った今でも忘れることができない。
私たち取材班は、1991年の湾岸戦争以来、初めて現地に入ったテレビクルーだった。当時、日本で伝えられるイラクはフセイン政権や戦争、国際政治のニュースが中心だった。実際に私たちが訪れた現地も経済は崩壊し、市場には札束を山のように抱えた人々が溢れていた。道端には戦車や装甲車が並び、すべてがイランの方向を向いていた。ホテルには「アメリカを倒せ!」のスローガン。部屋の電話は盗聴され、出かけるたびに荷物はチェックをされていた。世間全体がピリピリしていた。
しかし私が現地で目にしたのは、それとは別の光景だった。家族がいて、子どもたちが遊び、人々が笑いながら暮らしていた。湿地帯のマディフでは女性たちが大声で笑い、魚を焼いて私たちを歓待してくれた。国家レベルでは緊張と恐怖が支配していても、人々はその中で確かに日常を生きていた。
「ニュースのイラク」と「現実のイラク」の間には大きな隔たりがあったのである。
そして私は、この映画の優れた点もまさにそこにあると感じた。
『大統領のケーキ』は、独裁政権の圧政や国際政治を正面から描く作品ではない。少女がケーキの材料を探し回るという、ごくありふれた日常の出来事を描いているだけだ。
しかし、その一見「たわいもない出来事」の背後から、食料不足、貧困、監視社会、権力への恐怖、そして理不尽な社会システムが次々と顔をのぞかせる。
私はドキュメンタリー制作の際、「日常の中の非日常」を描くことを一つのポリシーにしてきた。社会問題を正面から説明するより、一人の人間の日常を丁寧に追う方が、その社会の本質が見えてくることがあるからだ。この映画はまさにその手法で作られている。
大統領のケーキを作るために右往左往する少女の姿を追っているうちに、観客はいつの間にか当時のイラク社会の不条理さを理解させられてしまうのである。
さらに興味深かったのは演出手法だ。
本作には著名スターが出演しているわけではない。むしろ素人に近い一般の人々を起用し、ドキュメンタリーを思わせる自然な演技と撮影スタイルを採用している。 その結果、映画を見ているというより、1990年代のイラクの片隅で本当に起きていた出来事を観客である私たちが目の前で目撃しているような感覚になる。
映画を見ながら私は何度も1994年の湿地帯の風景を思い出した。あの時、私が出会った人々は政治を語っていたわけではない。家族のこと、食べ物のこと、暮らしのことを語っていた。しかし、その何気ない日常の中にこそ、その時代のイラクがあった。
『大統領のケーキ』が描いているのもまさにそれだ。少女ラミアは架空の人物だが、私には30年以上前に出会った人々と重なって見えた。だからこの映画は、私にとって単なるイラク映画ではない。かつて取材で出会った人々の記憶を呼び覚ましてくれる作品だった。
「日常の中の非日常」をどう描くのか。その問いに向き合う映像制作者や学生には、ぜひ見てほしい作品である。
『大統領のケーキ』公式サイトより


