【今日のタブチ】「弾薬工場を公設民営に」――私が本当に怖いのは、防衛強化ではなく外交不在の安全保障論だ

東京新聞の一面を見て目を疑った。

「弾薬工場を公設民営に」

政府が弾薬工場や爆薬工場を国の予算で整備し、民間企業に運営を委ねる構想を進めているという。安全保障環境の悪化や防衛産業の維持を理由にした政策だ。
もちろん、この問題を単純化してはいけない。国家には国民の生命と財産を守る責任がある。近年の国際情勢を見れば、防衛力の維持が必要だという議論も理解できる。
私は「防衛力を持つな」と言いたいのではない。しかし、この記事を読んで強い違和感を覚えた。

その理由は、弾薬工場そのものではない。私が気になるのは、日本の安全保障論が「どう戦うか」に偏り、「どう戦争を回避するか」という議論が見えなくなっていることだ。
弾薬をどう確保するのか。ミサイルをどう増産するのか。生産体制をどう維持するのか。
そうした議論は次々と出てくる。だが、その前に語られるべきことがあるのではないか。
どうすれば緊張を緩和できるのか。どうすれば軍事衝突を防げるのか。どうすれば外交によって危機を回避できるのか。
本来、安全保障とは防衛と外交の両輪で成り立つものである。ところが最近の議論を見ていると、防衛は語られるが外交が見えない。

もちろん政府は外交を行っているだろう。しかし国民に伝わってくるのは、防衛予算の増額であり、反撃能力であり、弾薬備蓄であり、防衛産業強化である。
そのバランスに私は不安を覚えるのだ。
さらに気になるのは、この構想が社会的に大きな議論になっているようには見えないことだ。
誤解してはいけない。
この問題は東京新聞だけが報じているわけではない。朝日新聞やテレビ朝日、ロイターもすでに報じている。つまり「メディアが隠している」という話ではない。
しかし、これほど大きな政策転換が、果たして十分に議論されているだろうか。
弾薬工場を国が整備し、民間企業が運営する。これは単なる工場建設の話ではない。国家と防衛産業との関係を大きく変える可能性を持った話である。
だからこそメディアには、「賛成か反対か」の前に、多角的な論点を提示してほしい。
なぜそこまでの体制が必要なのか。外交努力は十分なのか。緊張緩和策は機能しているのか。平和国家を掲げてきた日本は、どこへ向かおうとしているのか。
そうした問いを社会に投げかけることこそ、本来の役割ではないだろうか。
私は戦前と現在が同じだとは思わない。あの時代と今とでは、社会制度も国際環境もまったく異なる。
だが、歴史から学ぶべき教訓があるとすれば、それは軍備そのものではなく、軍備の必要性ばかりが語られ、外交や緊張緩和の議論が置き去りにされることである。

「ライブドアブログ」より

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