【今日のタブチ】ヤクザを消したら街は良くなったのか―― 『教養としての新宿・歌舞伎町』が突きつける“不都合な”問い
久田将義氏の『教養としての新宿・歌舞伎町 立ちんぼから半グレまで、裏社会の現在地』を読んだ。なかなか興味深かった。
特に、現役の指定暴力団関係者らに直接取材している点が凄い。こうした取材はコネクションだけでなく、相当な度胸がなければできない。それだけでも本書には“オンリーワン”の価値がある。
裏社会のことは裏社会の人間に聞く。これは取材の世界ではある意味で定説だろう。
ふと、アフガニスタン取材の際に、現地のNGO関係者が語っていた言葉を思い出した。
「地雷は、埋めた人間に撤去させるのが一番効率的だ」
もちろん、善悪や是非の問題とは別である。しかし、現場を最も知る人間から話を聞くのが一番早いという意味では、通じるものがある。
本書では、暴力団排除条例(暴排条例)について非常に厳しい見方が示されている。
条例施行によって暴力団は大きく排除された。しかしその結果、従来であれば暴力団と不良少年、暴走族、ギャングなどを別々に認識して取り締まればよかったものが、半グレや匿名・流動型犯罪グループなど、立場や属性が曖昧な人間たちが混在する世界になり、むしろ犯罪構造そのものが複雑化してしまったというのである。
そして、歌舞伎町を仕切っていたヤクザたちにも大きな影響が出た。
本書に登場する関係者の証言によれば、かつては各団体が持ち回りで街を見回る「地回り」を行っていたという。悪さをする人間に対して、「この街には見ている人間がいる」という一種のデモンストレーションでもあった。ところが今は、街で何が起きているのか把握すること自体が難しくなったという。
ヤクザはヤクザなりの、この街はこの街なりの“秩序”があったというわけだ。
本書の優れている点は、こうした“生の証言”を、著者自身の取材による一次情報から得ているということである。人づてに聞いた話ではない。著者が地元の指定暴力団関係者や反社会的勢力周辺の人物たちから直接聞いた話には、その場の空気が目の前に広がるような臨場感がある。
例えば、あるビル建設の際、関係者が地元のヤクザに菓子折りを持参し、「ここに建ちますので、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」と挨拶に行く。すると、その工事現場には業界関係者が一切手を出さなくなったというエピソードが紹介されている。
私はこれを読んで、「さもありなん」と思った。実は私自身、似たような経験をしているからだ。
1980年代後半、私が歌番組を担当していた頃、テレビ東京では毎年大晦日に新宿コマ劇場から『年忘れにっぽんの歌』という生放送番組を制作していた。総務担当だった私は、上司のプロデューサーに命じられ、しめ縄で結んだ一升瓶二本の日本酒を持って、周囲の関係先や警察署に年末の挨拶に回っていた。もちろん、その中にはその筋の事務所も含まれていた。
そんな事務所に酒を持って行くと、「よう、兄ちゃん。ありがとよ。任しときな」と実に気さくに迎えてくれたものだった。そんな彼らには、私が想像していた恐ろしさよりも、むしろ人情味のようなものを感じた。
あるとき、酔っ払いがコマ劇場前に止めてあった中継車に入り込むという騒ぎが起きたことがあった。するとすぐにその事務所から若い衆がやって来て、酔っ払いを外へ連れ出してくれた。
良いか悪いかは別として、私はそのとき「ここにはここ独特のルールがある」と実感した。
その場所の正義とは、その場所のルールを守ることだった。逆に悪とは、その和を乱すことだった。
少なくとも彼らは、自分たちなりのルールに従って行動していた。
だが今はどうだろう。
本書でも指摘されているように、暴排条例によって暴力団は大幅に減少した一方で、その空白部分に半グレやトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)など、新たな存在が入り込んできたとの見方がある。
実際、先日も「東横キッズ」の中心的人物とされる男が、歌舞伎町で勧誘した女性を海外へ送ろうとしたとして逮捕されたという報道があった。かつてのように組織の看板が見える犯罪ではなく、街に集まる若者を取り込みながら流動的に犯罪ネットワークを形成するケースが目立つようになっている。
もちろん私は暴力団を肯定するつもりはない。暴力や恐喝、覚醒剤取引などの犯罪行為が許されないことは言うまでもない。
また、本書では暴力団排除政策に批判的な立場から、現在の暴力団は以前ほど事件を起こしていないという趣旨の指摘も見られる。しかし、その表現には釘を刺しておきたい。それは少々言い過ぎだ。実際には現在でも暴力団関係者による詐欺や恐喝、覚醒剤事件、人身取引に絡む事件などは報道されている。
先日も、歌舞伎町の「トー横」に集まる若者たちとの関係が指摘されていた指定暴力団住吉会系組員が、勧誘した10代女性を海外へ送ろうとしたとして、国外移送目的誘拐容疑で再逮捕されたとの報道があった。記事によれば、女性はマレーシア経由でカンボジアへ送られ、特殊詐欺拠点に移送される目的だったとみられている。
確かにトクリュウという新たな問題は生まれた。しかし、それは暴力団が無害になったことを意味しない。暴力団の勢力低下と、暴力団犯罪の消滅は全く別の話なのである。
本書を読んで考えさせられたのは、「悪を排除すれば社会は必ず良くなる」というほど現実は単純ではない、ということである。
かつてのヤクザには、組織も看板も事務所もあった。警察も所在を把握できた。しかしトクリュウには、それがない。名前も顔も組織も分からない。誰が指示役なのかも見えない。摘発しても、また別の集団が現れる。
見える悪と、見えない悪。
どちらがより危険なのか。簡単には答えられない。
久田氏の本は、その答えを読者に押し付けない。ただ、長年歌舞伎町を歩き続けてきた取材者だからこそ見える景色を提示してくれる。
そして私は、新宿コマ劇場時代の経験を思い出しながら、読み終えた後にこんなことを考えた。
社会から何かを排除するとき、本当に考えなければならないのは「排除した後、何が生まれるのか」ということではないか。
本書は、その難しい問いを読者に突き付けている。
暴力団がいなくなれば全て解決する。現実は、それほど単純ではない。
「東洋経済オンライン」より


