【今日のタブチ】世界4位で喜んでいる場合なのか?……学力国際調査に感じる大きな違和感
朝刊を開くと、「日本の高校1年生の学力は世界上位」「読解力は低下」「国内格差が広がる」といった見出しが躍っていた。経済協力開発機構(OECD)が実施する国際学力調査「PISA」である。
私は以前から、この調査結果が公表されるたびに強い違和感を抱いている。もちろん、調査そのものを否定するつもりはない。
OECDによればPISAは、15歳前後の子どもたちが社会で生きていくために必要な読解力や数学的・科学的な活用力をどの程度身につけているのかを測定し、各国の教育政策改善につなげることを目的としている。単なるテストではなく、教育の現状を把握するための国際比較調査である。
しかし、私が知りたいのは、その先だ。
今回、日本は読解力で上位を維持した。数学的応用力も上位だった。では、その結果を知ってどうするのだろうか。読解力が下がったなら、なぜ下がったのか。格差が広がったなら、なぜ広がったのか。それをどう改善するのか。
本来はそこが最も重要なはずである。
ところが、毎回ニュースになるのは順位ばかりだ。
「日本は何位だった」「シンガポールが1位だった」「前回より上がった」「前回より下がった」
そんな話ばかりである。
率直に言えば、これでは教育政策の議論というより国際ランキング大会に見えてしまう。
仮に日本が1位になったとして、それで子どもたちは幸せになるのだろうか。逆に順位が下がったとして、それだけで教育が失敗だったと言えるのだろうか。
私はそうは思わない。教育の本質は順位ではないからである。
実際、PISAの結果が教育改革につながった事例はある。有名なのはドイツだ。
2000年のPISAで期待を下回る結果が公表されると、「PISAショック」と呼ばれる大きな社会的議論が起きた。その後、教育改革が進められ、学力向上や格差縮小につながったとする研究もある。
つまり、本来のPISAは順位を競うためのものではなく、課題を発見し、改善を促すためのものだったのである。
だからこそ私は日本に問いかけたい。
過去の調査で示された課題に対して、私たちは何をしたのか。読解力の低下を受けて、どんな教育改革を行ったのか。格差拡大を受けて、どんな支援を行ったのか。その結果、どんな成果があったのか。
そこまで説明されて初めて、調査は意味を持つ。
順位発表だけで終わるなら、それは教育改革ではなくイベントである。
発達障害に関する取材を続けてきたなかで、私は最近ひとつのことを強く感じている。
子どもを伸ばすのは比較ではない。成長である。
「あの子よりできる」「平均より上だ」
そうした評価ではなく、「昨日よりできるようになった」「以前より成長した」という実感こそが、子どもたちの自己肯定感や意欲につながる。
ところが大人たちは、なぜか順位が好きだ。
学校の順位。偏差値。全国ランキング。そして世界ランキング。
しかし、子どもたちはオリンピックのメダルではない。国の成績表でもない。
一人ひとりが異なる可能性を持っている。
国際調査が本当に意味を持つのは、順位が発表された瞬間ではない。その結果を分析し、政策を改善し、子どもたちの学びや成長につなげた時である。
私はOECDにも日本政府にも聞いてみたい。
今回の結果を受けて、何をするのか。そして前回の結果を受けて、何をしたのか。
もしその答えが明確に示されないのであれば、この国際調査は「教育改善のための道具」ではなく、「上位国自慢大会」に近づいてしまう。本当に見るべきなのは順位ではない。子どもたちの未来である。
「Yahoo!ニュース」より


