【今日のタブチ】「好き」に優劣はあるのか――ドラマ『君の好きは無敵』が思い出させてくれた、私が桜美林大学で伝え続けていること

前回放送のドラマ『君の好きは無敵』がなかなか興味深かった。物語は、それぞれが抱える「好き」という感情をめぐる群像劇だ。
ある人物は、あまりにも真っすぐに好意をぶつけられることに戸惑い、「好きだ」と言われること自体がウザいと感じる。演じる本郷奏多の表情には、その息苦しさがよく表れていた。一方で、松本若菜が演じる人物は、「好きだ。結婚しよう」という言葉を受け止めきれず、むしろ引いてしまう。
さらに印象的だったのは、「私の好きを奪った」というセリフだ。よくぞここまで言わせたなと、脚本家の矜持を感じた。

好きという感情は本来、誰かから奪われるものではない。しかし、現実にはそう感じてしまうことがある。恋愛だけではない。仕事でも趣味でも、人は自分の居場所や情熱、自分だけの特別な何かを失ったと感じると、「好き」を奪われたような感覚になる。そんな登場人物たちの葛藤のなかで、私が最も共感したのは、
「“好き”に大小はあるが、優劣はない」
という言葉だった。
これは実は、私が大学の授業でよく話していることと通じる。

私は学生たちに、社会のあらゆるプロジェクトやビジネスは「ヒト・モノ・カネ」の三要素で回っていると説明する。そして発想は必ず「ヒト→モノ→カネ」の順番で考えたほうがうまくいく、と。
最初からお金の話ばかりになると、多くの場合、プロジェクトはうまくいかない。まず人がいて、そこに価値を生み出すモノやサービスがあり、その結果としてお金がついてくる。だから順番は重要だ。
しかし、ここで勘違いしてはいけない。
順番が重要だからといって、優劣があるわけではない。ヒトが大事だからモノはいらない、カネはいらない、という話ではない。社会はヒトだけでは回らない。モノだけでも回らない。カネだけでも回らない。三つとも必要だ。
つまり、順番はあるが、優劣はないのである。
私はこの考え方を、ショートケーキに例えることがある。クリームから食べる人もいるだろう。イチゴから食べる人もいるだろう。最後にイチゴを残しておく人もいる。しかし、どれが正しいという話ではない。そこには順番の違いがあるだけだ。優劣はない。
今回のドラマのテーマであった「好き」という感情も同じなのだと思う。
誰かがアイドルを好きになる。誰かが映画を好きになる。誰かが鉄道を好きになる。誰かがアニメを好きになる。誰かが研究を好きになる。好きの大きさは違うかもしれない。熱量も違うかもしれない。
しかし、その「好き」自体に優劣はない。

私たちはつい、自分の好きのほうが正しいとか、立派だとか、価値があるとか考えてしまう。だが、本当は違う。
人それぞれ、人生を支えている「好き」がある。そして、その好きを否定しないことが、多様な人々が共に生きる社会の第一歩なのかもしれない。
週末にこのドラマを観ながら、そんなことを考えた。
誰かの好きに共感できなくてもいい。理解できなくてもいい。ただ、「あなたにはあなたの好きがある」ということを認める。それだけで、世の中は少し優しくなるような気がする。

Voicyではさらに深掘りしたお話をしています。「母の話」との関連性とは何なのか?
#045 母も推し活も学びも同じかもしれない—ドラマ『君の好きは無敵』を観て考えたこと
https://voicy.jp/channel/1027821/8194101

「番組公式HP」より

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