【今日のタブチ】生命に必要だったのは”半分”だった――試験管ばかり割っていた私がノーベル化学賞に勇気をもらった理由
今年のノーベル化学賞は、生命誕生の謎に迫る研究を続けてきた東京理科大学の硤合憲三名誉教授らに贈られることになった。そのニュースを見て、私は妙に心を動かされた。
アミノ酸には右手型と左手型がある。鏡に映したような関係で、本来なら同じように存在する。しかし、生物のタンパク質を構成するアミノ酸は左手型だけでできている。なぜ生命は片方だけを選んだのか。その百年以上にわたる謎の解明につながる成果が評価された。
正直に言えば、理数系オンチの私には、その科学的な凄さを十分説明できる自信はない。しかし、記事を読んだとき、私の頭に浮かんだのは別のことだった。
生命は右手型と左手型の両方を必要としたのではなかった。
片方だけだった。そして、それで十分だった。
私はこれまで、どこかで「物事は両方そろっていて初めて完全になる」と思い込んでいたような気がする。
左右対称であること。バランスが取れていること。欠けていないこと。それが理想なのだと思っていた。しかし、生命そのものがそうではなかった。片方を選び、片方だけで何十億年も生き続けてきたのである。
もちろん、これは科学の話だ。しかし私には、どこか人生の話にも思えた。
人間もまた不完全な存在である。誰にでも得意なことと苦手なことがある。長所もあれば短所もある。欠けた部分のない人などいない。それでも人は生きていけるし、立派に仕事をし、誰かの役に立ち、自分なりの人生を歩んでいく。
「完璧でなくてもいい」
今回のノーベル賞のニュースは、そんなことを力強く語りかけているような気がした。
そう考えているうちに、子どもの頃のことを思い出した。
私は理科の実験が大の苦手だった。もともと集中力が続かず、落ち着きもなかった。試験管やビーカーをよく割った。
今なら危険だから気をつけなさいと注意されて終わりかもしれないが、当時の私は繊細だったのか単純だったのか、失敗するたびにひどく落ち込んだ。
そして嫌になって実験室を飛び出してしまう。そんな子どもだった。
まさかその私が何十年も経って、ノーベル化学賞の記事を興味深く読む日が来るとは思わなかった。
もちろん、受賞者の研究内容を私が完全に理解しているわけではない。それでも、生命誕生の謎に挑み続けた研究者たちの情熱には心から敬意を表したい。
百年以上解けなかった謎を追い続ける。それだけでも気の遠くなるような話である。そして私は、今回のニュースからもう一つの勇気をもらった。
生命ですら完璧な左右対称を選ばなかった。片方だけだった。それでも生命は誕生し、進化し、今日まで続いている。
ならば私たち人間も、少しくらい不完全なままでいいのではないか。
試験管ばかり割っていた少年が、37年間テレビ番組を作り続け、いまは大学で学生たちに映像制作を教えている。
人生とは、案外そんなものなのかもしれない。
今日のVoicyは、私の子ども時代の“困った”話をします。ノーベル化学賞との意外な関係は何でしょうか?
#072 なぜ私は試験管を割り、ルパンを読みふけっていたのか ~ノーベル化学賞のニュースで考えた「偏り」の価値~
https://voicy.jp/channel/1027821/8277262
「毎日新聞デジタル」より


