【今日のタブチ】暴力検事はなぜ生まれるのか――元検事の告白が私に突きつけたもの
今朝の東京新聞で「揺らぐ検察」という連載が始まった。なぜ今、この連載なのか。理由は明らかだろう。
大阪地検特捜部の田渕大輔検事が特別公務員暴行陵虐罪の付審判によって刑事裁判の被告人となり、公判が続いているからだ。東京地検特捜部の堀木博司検事についても、取り調べを巡って付審判請求が認められた。現職または元特捜検事が相次いで付審判の対象となり、刑事裁判を受ける立場になった。これは検察史上でも極めて異例の事態である。
そんななかで登場したのが、元検事の市川寛氏である。今回の記事で市川氏は、自らが経験した取り調べや検察組織の実態について語っている。
もちろん、これは市川氏個人の見解である。
長年、検察批判の立場から発言を続けてきた人物でもあり、すべてを額面通りに受け取るべきではない。現役検察官や別の元検事に取材すれば、異なる証言も出てくるだろう。それでも私はこの記事を興味深く読んだ。
なぜ正義を志して検察官になった人間が、ときに威圧的な取り調べを行うようになるのか。その問いを考えるきっかけを与えてくれたからである。
今朝この記事を読んで、私はあるヤメ検に話を聞いた。彼は私もかつて法学部時代に所属していた司法試験受験サークル「十八人会」の後輩であり、現在は弁護士として活動している。個人情報保護のために、仮にA氏と呼ぶ。
A氏によれば、検察組織では事件の見立て、つまり調書の筋書きをうまく組み立てられる検事が評価される傾向があったという。そして、その筋書き通りに供述を整理し、事件をまとめ上げられる人材も評価される。
もっとも、彼自身は少し違った。
「この被疑者は嘘をついている」
そう確信できた事件でなければ、厳しい取り調べを行う気にはなれなかったという。
また、「本当のことを話している人間に違う内容の自白をさせろ」という理不尽な指示を上司から受けた経験もほとんどなかったそうだ。おそらく彼は良い上司に恵まれたのだろう。
だから私が見聞きしてきた検察の世界は、市川氏が描く世界ほど単純でもなければ、一面的でもない。だが同時に、「筋書き」が重視される文化があったという話は、今回の記事とどこか重なって聞こえた。
そこで思い出したのが、私自身の学生時代である。
前述したように私は法学部時代、「十八人会」という司法試験突破を目指すサークルに所属していた。そこには裁判官志望もいれば、検事志望もいた。しかし、今だから正直に言うと、「無実の人を救いたい」「人権を守りたい」といった高邁な理想を語る学生は少数派だった。
もちろん、そういう志を持つ人もいた。だが多数派ではなかった。
安定している。社会的地位が高い。なんとなく格好いい。周囲から尊敬される。そんな理由で法律家を目指していた学生も少なくなかった。
だが、それは別に悪いことではない。社会経験もない二十歳前後の若者に、最初から人生を賭けるほどの崇高な使命感を求める方が無理がある。
だが、そんな若者たちが検察という組織に入り、厳しい評価のなかで仕事を続けることになったらどうなるのだろうか。
理想と現実のギャップに直面する。成果を求められる。失敗を許されない。上司の期待に応えなければならない。
そんな環境のなかで、少しずつ価値観が変わっていく人がいても不思議ではない。
私は今回の記事を読みながら、暴力検事という存在は、生まれながらの異常者が突然現れるのではなく、組織のなかで少しずつ作られていく面もあるのではないかと思った。
もう一つ、思い出したことがある。私がプロデューサーとしてドラマ『巨悪は眠らせない』を制作したときのことだ。
真山仁氏の原作を映像化した作品で、玉木宏さんが主人公の富永真一検事を演じた。富永は実直で、不正を憎み、巨大な権力にもひるまず立ち向かう。まさに正義の検事である。玉木さんはその役柄を見事に演じてくれた。
しかし、正直に言えば、制作当時の私はどこか心の中でこう思っていた。
「本当にこんな検事がいるのだろうか」と。
もちろん、テレビドラマには宿命がある。視聴者に伝わりやすくするためには、善悪をある程度わかりやすく描かなければならない。とくに法律や犯罪を扱うドラマでは、その傾向が強い。
正義の側に立つ主人公。それに対峙する悪。視聴者はそれを観てカタルシスを得る。だが、現実は、そんなに単純ではない。
今回の記事を読みながら、私は当時の自分が無意識のうちに「正義の検事」と「悪い検事」という二項対立で物事を考えていたことに気づかされた。
現実の組織には、正義感に燃えて検事になった人もいる。仕事として割り切っている人もいる。理想を失った人もいる。そして、そのどれもが同じ組織のなかに存在している。
だから私はこの記事を読んで、「検察はひどい組織だ」とは思わなかった。
むしろ考えたのは、人間というものの弱さである。
検察だけではない。企業も官庁も大学もテレビ局も同じだ。志を持って入ったはずの人間が、組織の論理に少しずつ染まっていく。その変化は往々にして本人にも見えない。
本当に恐ろしいのは、悪意ではなく慣れなのかもしれない。市川氏の証言がどこまで正確に検察全体を映しているのか、私には分からない。
ただ一つ言えることがある。この記事を読んで私が考えたのは、検察という組織そのものよりも、組織の中で変わっていく人間の姿だった。
そしてその問題は、決して検察だけの話ではないのである。
「TBS NEWS DIG」より


