【今日のタブチ】死刑存廃論の本質から目をそらしていないか――「凶悪犯罪だから死刑」では答えにならない
21日、法務省は約1年2カ月ぶりに死刑を執行した。執行されたのは、高見素直死刑囚。2009年に大阪市此花区のパチンコ店に放火し、客や従業員5人を殺害、さらに10人に重軽傷を負わせた事件で、2016年に死刑が確定していた。
事件そのものは極めて重大であり、多くの人が犠牲となった。その悲惨さや被害者遺族の無念について異論を挟む余地はないだろう。
今回、私が気になったのは死刑執行そのものではない。執行後に平口洋法務大臣が述べた次の言葉である。
「罪責が著しく重大な凶悪犯罪を犯した者に対しては、死刑を科することもやむを得ないと考えています。したがって、死刑を廃止するということについては適当でないと考えています」
この発言に私は強い違和感を覚えた。
なぜなら、この説明は死刑制度を維持する理由になっているようで、実はなっていないからだ。
凶悪犯罪が存在することと、死刑制度を維持することは別の問題である。
確かに、この世には残虐な犯罪がある。多くの命を奪い、被害者や遺族に取り返しのつかない苦しみを与える事件もある。しかし、死刑存廃論で本当に問われるべきなのは、「そのような犯罪があるかどうか」ではなく、「国家が刑罰として人の生命を奪う権限を持つべきかどうか」である。
凶悪犯罪の存在は誰も否定していない。問題は、そのような犯罪者に対して国家は何をしてよいのか、ということだ。
終身刑では足りないのか。応報刑という考え方をどこまで認めるのか。冤罪の可能性をどう考えるのか。再審制度は十分機能しているのか。
そして、国家が人の命を奪うことは正当化されるのか。
本来議論されるべきなのは、こうした論点である。ところが平口法務大臣の説明は、「凶悪犯罪があるから死刑制度は必要だ」という結論になっている。これは死刑制度そのものを正当化する説明ではなく、犯罪の凶悪性を指摘しているだけではないだろうか。
私は大学時代、法学生として宮澤浩一ゼミで死刑存廃論を研究した。
当時から感じていたことだが、死刑をめぐる議論は賛成派も反対派も感情論に流れやすい。死刑賛成派は残虐な事件を挙げる。死刑反対派は人権や国際基準を挙げる。
しかし、本当に必要なのは、互いの論拠を丁寧にぶつける冷静な議論だ。
今回の新聞記事でも、有識者らは長年にわたり日本政府が死刑制度の存廃について本格的な議論を行ってこなかったことを問題視している。制度は維持され続けるのに、その理由を深く議論する場がないというのである。記事見出しの「死刑議論ないまま」という言葉は重い。
私は死刑反対論を書きたいわけではない。かといって死刑賛成論を書きたいわけでもない。
私が問いたいのは、国が人の生命を奪う制度を維持するのであれば、その理由をもっと丁寧に国民へ説明する責任があるのではないか、ということだ。
「凶悪犯罪だから死刑」。しかし、それは死刑制度を維持する理由の説明ではない。
凶悪犯罪が存在することと、国家が死刑という制度を持つべきかどうかは、本来別の議論だからだ。
法務大臣が説明すべきなのは、今回執行された死刑囚の犯罪がいかに凶悪だったかではない。
なぜ日本は死刑制度を維持するのか。死刑に犯罪抑止効果はあるのか。袴田事件が示したように、誤判の可能性を抱えたままなお死刑制度を維持する理由は何なのか。国民の多数が支持しているからなのか。被害者感情への配慮なのか。それとも別の理由なのか。
法務大臣という立場にある以上、本来はその問いに正面から答える責任がある。
ところが今回の発言から聞こえてきたのは、「凶悪犯罪だから死刑もやむを得ない」という結論だけだった。私はその言葉に、説明というよりも議論の回避を感じた。
死刑制度そのものよりも私が危惧しているのは、国家が人の生命を奪うという究極の権力行使を続けながら、その理由について正面から語ろうとしない姿勢である。
本当に恐ろしいのは死刑の存在ではない。死刑について考えることをやめてしまうことだ。
「TBS NEWS DIG」より



