【今日のタブチ】横浜流星氏の「BL発言」は本当に非難されるべきなのか――切り取られた言葉で人を裁く“SNS社会”への警鐘
俳優の横浜流星氏の発言が物議を醸している。
ファンクラブ限定のライブ配信の中で、ファンから寄せられた「BL作品に出演してほしい」という声に対し、横浜氏は「BLには興味がない」「分からない」「なし」といった趣旨の発言をしたとされる。そして、その中の「多様性、意味が分からない」という部分が切り取られてSNSで拡散され、大きな議論になった。
ネット上では、「BLに興味がないのは自由だが、多様性を理解できないという表現は問題だ」「俳優として残念だ」「LGBTQを否定しているように聞こえる」「影響力のある俳優なのだからもっと慎重に発言すべきだ」といった批判が相次いでいる。
確かに、「多様性、意味が分からない」という言葉だけを見れば、違和感を覚える人がいるのも理解できる。
しかし、私は今回の騒動を別の角度から見ている。
私が問題だと思うのは、横浜流星氏の発言よりも、その発言の扱われ方である。
彼は「私はBLに興味がない」と述べた。それはそんなに大問題だろうか。私はそうは思わない。
BLが好きな人がいる。BLを好まない人もいる。本来、それだけの話である。
もちろん、好きになる自由もあるし、興味を持たない自由もある。
むしろ、それこそが多様性ではないか。
ところが今のSNS社会では、「興味がない」という発言そのものが許されなくなっている。
「好きではない」と言った発言が、「否定した」「差別した」「排除した」と受け取られることがある。しかし、興味がないことと存在を否定することは、まったく別である。
野球に興味がない人は野球を否定しているわけではない。
アイドルに興味がない人はアイドル文化を否定しているわけではない。
BLに興味がない人も同じだ。
ところが今回は、その境界線が極めて曖昧に扱われているように見える。
さらに気になるのは、発言の切り取りである。
今回の発言はファンクラブという閉じた空間でのやり取りだった。その後、発言の一部だけがSNSに流出し、短い動画や文章として拡散された。そしてファンクラブ側は、「特定の作品や思想を否定する意図はない」「本人の意図と異なる形で発信されている」と説明している。
私はこの種の騒動を見るたびに思う。
現代人は発言そのものではなく、「切り取られた発言」に反応しているのではないか。
長い会話の中の一部分。前後のやり取りを欠いた一節。その断片だけを見て人物評価が決まる。
裁判で言えば証拠の一部だけを見せられ、前後の事情をまったく聞かずに有罪判決を下しているようなものだ。
今回、横浜流星氏が何を考えているのか、私は知らない。また、彼の表現が適切だったとも限らない。
しかし、少なくとも、発言の全体像を知らないまま断罪する風潮には強い違和感がある。
私は、こうした現象を以前から「ステルス・ウォール」と呼んできた。ステルス・ウォールとは、誰かが意図的に情報を遮断するわけではないのに、SNSのアルゴリズムや切り抜き動画、短文投稿の連鎖によって、受け手が全体像を見えなくなってしまう「見えない情報の壁」のことである。
壁は存在しないように見える。しかし実際には、その壁によって私たちは物事の一部分しか見ることができなくなっている。
今回も多くの人は横浜流星氏の発言そのものに怒ったのではない。SNSによって切り取られ、再編集された「横浜流星像」に怒っているのである。
かつては新聞記事でもテレビ番組でも、ある程度の文脈が提供された。賛成であれ反対であれ、発言の前後関係を確認することができた。
ところが現在はショート動画、切り抜き動画、SNS投稿が主流になった。
そうするとどうなるか。
文脈は消える。背景も消える。残るのは刺激的な一言だけだ。
そして人々は、その一言に怒り、その一言だけで人を評価する。見えない壁が作られているのである。
私は今回の騒動の主役は横浜流星氏ではないと思っている。
本当の主役は、文脈を失ったSNS社会そのものだ。
多様性を尊重しようと語る人が、異なる考えを許容できなくなっていないか。発言の背景を確認しないまま、人を裁くことが当たり前になっていないか。
炎上とは何なのか。そして私たちは何を見て怒っているのか。
横浜流星氏の発言よりも、私はそちらのほうがはるかに気になった。
今回の騒動は、一人の俳優の失言騒動ではない。切り取られた言葉で人を裁く社会の縮図なのである。
「Yahoo!ニュース」より



