【今日のタブチ】円筒分水工の仕組みを知っていますか――私が雷に打たれたような衝撃を受けた「必要な人に必要なものを」という“当たり前の”発想

新聞でこの写真を見たとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。川崎市高津区にある二ヶ領用水の久地円筒分水である。
最初に目を引かれたのはその美しい造形だった。上空から見ると巨大な現代アート作品のようにも見える。しかし記事を読んでいくうちに、私の関心はその形から、それを生み出した人々の発想へと移っていった。

この分水工は農業用水を複数の水路へ分配する施設である。上流から流れてきた水はいったん中央の円筒に入り、その縁から均等にあふれ出し、それぞれの水路へ決められた割合で流れていく。
私が驚いたのは、その仕組みそのものではない。
配分の考え方だった。
かつてこの地域では、農業用水をめぐる争いが絶えなかったという。考えてみれば当然である。水は農業の生命線だ。少しでも多く確保したいと思うのは人情であり、上流と下流、村と村の対立が生まれるのも無理はない。
ところが、この円筒分水工はそうした争いに対し、実に明快な答えを示した。
力の強い村が多く取るのではない。声の大きい村が多く取るのでもない。農地の面積に応じて分けるのである。
つまり「誰が強いか」ではなく、「誰にどれだけ必要か」を基準にした
私はこの発想に強い感銘を受けたのだ。なぜなら、現代社会は必ずしもそうなっていないからである。
私たちは平等公平を語る。しかし現実には、さまざまな場面で力が配分を左右する
国家間の関係もそうだ。国際社会にはルールが存在するが、最終的には国力や経済力の大きな国ほど有利な立場に立つことが多い。近年の関税問題を見ても分かるように、巨大な市場を持つ国はその市場そのものを交渉カードにできる。アメリカだけの話ではない。中国もロシアもEUも、それぞれが自らの利益を守るために力を行使している。それが国際政治の現実である。
企業社会も同じだろう。能力主義を掲げながら、実際には人脈や組織内での影響力が結果を左右することがある。
SNSもまた同様である。誰もが発信できる時代と言われるが、知名度や資金力を持つ者の声は圧倒的に届きやすい。
私はこうした構造を「ステルス・ウォール」と呼んでいる。壁は見えない。だから存在しないように扱われる。しかし実際には、その壁によって利益を得る者と排除される者が生まれている。しかも厄介なのは、多くの場合、それが「公平な競争」の名の下に正当化されてしまうことである。
誰も壁を作ったとは言わない。制度上も公平に見える。しかし、実際には見えない壁が存在し、その向こう側に行ける人と行けない人を分けている。
だからこそ私は、この円筒分水工に感動したのである。

そこにはステルス・ウォールがない。
配分のルールが見える。根拠が見える。結果が見える。しかも、そのルールは特定の誰かの善意に依存していない。立派な人格者が現れることを期待しているわけでもない。
人間は利害によって対立するものだという前提に立ち、そのうえで争いを最小限に抑える仕組みを設計しているのである。
私はここに日本人の知恵を見る。
百年近く前、この国の人々は水争いという極めて現実的な問題に向き合いながら、「どうすれば皆が納得できるのか」を真剣に考えた。そして、その答えを絵空事や理想論ではなく、目に見える形として残したのである。
新聞の写真を見て私が受けた衝撃の正体も、そこにあったような気がする。
私が感動したのは、美しい円筒でもなければ優れた土木技術でもない。その奥にある思想だった。

世界では今も、富や資源や食料や水をめぐって争いが続いている。国家同士も、企業同士も、人間同士も、自分の取り分を少しでも増やそうと競い合っている。
もちろん、現実は円筒分水工ほど単純ではない。
それでも私は思う。力のある者が多く取るのではなく、本当に必要としている人のところへ必要なものが届く。もし世界中にそんな仕組みや考え方がもっと広がったなら、今より少しは平和な社会になるのではないか。
考えてみれば、それは決して革新的な発想ではない。
「必要な人に必要なものを」。
ただ、それだけのことである。
しかし、その当たり前がなかなか実現できていないからこそ、私はこの円筒分水工に雷に打たれたような衝撃を受けたのかもしれない。

「東京新聞デジタル」より

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