【今日のタブチ】なぜそのポスターは炎上したのか――厚労省『ママがもうこの世界にいなくても』と法務省『ラヴ上等』のタイアップ中止に共通していた“不穏な”原因
厚生労働省が映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』とのタイアップ中止を発表した。「死を連想させ、治療中の患者に不安を与える」「病院に掲示するのは不適切」といった批判が相次ぎ、ポスターの回収や関連発信の削除に踏み切ったという。
私はこのニュースを見て、先日話題になった法務省のケースを思い出した。
法務省保護局は、更生保護の啓発を目的にNetflixのリアリティシリーズ『ラヴ上等』シーズン2とタイアップした。しかし「犯罪を美化している」「被害者への視点がない」「法務省の感覚がズレている」といった批判が相次ぎ、最終的にタイアップ中止を発表した。
この二つのニュースを報じる記事は数多く見かける。しかし、その多くは「タイアップが中止になった」という事実を伝えるだけで終わっている。
なぜ厚生労働省と法務省で、ほぼ同じ時期に似たような問題が起きたのか。
なぜ省庁は相次いで炎上するような判断をしてしまったのか。
さらに言えば、この二つの出来事に共通する背景は何なのか。
そうした原因や構造について掘り下げた論考は、私が見る限りほとんど見当たらない。そこで今回は、この二つの出来事を単なる個別の失敗としてではなく、一つの共通した現象として考えてみたい。
一見すると、この二つはまったく別の出来事に見える。片方は、がん患者支援制度の周知である。もう片方は、更生保護制度の啓発である。扱うテーマも対象者も異なる。
しかし、私は、両者には明確な共通点があるように感じている。
それは、送り手と受け手の間に大きな認識のズレが生じていたことだ。
厚労省が見ていたのは、若くして進行がんと闘った夫婦の物語だったのだろう。映画を通じてAYA世代のがん患者向け支援制度を知ってもらいたいという意図も理解できる。
しかし、患者本人や家族が見ていたのは物語ではない。自分自身の病気であり、家族の不安であり、日々向き合っている現実である。
だからこそ、「ママがもうこの世界にいなくても」というタイトルに強い反応が生まれた。
法務省のケースも同じだ。行政側が見ていたのは、過去の過ちから立ち直ろうとする若者たちの再生物語だったのだと思う。
しかし、被害者やその家族、あるいは一般市民が見たのは犯罪によって生じた現実の被害だった。
だから「更生上等!!」「立ち直りって、ラヴだ」という表現に違和感が噴出したのである。
ここまでは多くの人が指摘している。
しかし私は、そのさらに奥にある問題こそ重要なのではないかと思う。
それは、省庁側の焦りである。
もちろん、これは私の推測だ。しかし、近年の行政広報を見ていると、「もっと国民に知ってもらわなければならない」というプレッシャーが以前より強くなっているように見える。
ホームページを作っても見てもらえない。パンフレットを配っても読んでもらえない。制度を整備しても利用されない。記者発表をしてもニュースにならない。
行政機関の担当者がそうした現実に直面していることは想像に難くない。
さらに、その背景にはSNS時代特有の焦りもあるのではないか。いまや行政広報も、「どれだけ見られたか」「どれだけ話題になったか」を無視できなくなっている。
ホームページよりもSNS。パンフレットよりも動画。地道な広報よりも話題化。そんな発想が行政の現場にも少しずつ入り込んでいるように見える。
映画やドラマとのタイアップは、その象徴ではないだろうか。
人気作品と組めばニュースになる。SNSで拡散される。若い世代にも届く。従来の行政広報では接点を持てなかった層にもアプローチできる。
だからこそ省庁は、エンターテインメント作品とのコラボレーションに魅力を感じるのだろう。だからこそ、映画やドラマ、Netflix作品とのタイアップに手を伸ばす。
人気作品と組めば話題になる。SNSで拡散される。若い世代にも届く。従来の行政広報では届かなかった層にアプローチできる。行政側から見れば極めて魅力的な手法である。
しかし、そこに落とし穴がある。
行政が扱うのは制度であり現実だ。がん患者の苦しみも現実である。犯罪被害者の苦しみも現実である。
一方で、映画やドラマが扱うのは物語である。
もちろん、現実を題材にはする。しかし、物語である以上、観客の共感を得るために演出され、美化され、再構成される。その物語の力を借りて制度を伝えようとしたとき、現実を生きている当事者との間にズレが生じる。私は今回の二つの騒動の背景には、その構造があるように思う。
言い換えれば、省庁は制度の認知度向上という成果を求めるあまり、「どれだけ届くか」を重視しすぎたのではないか。
その結果、「誰がどう受け止めるか」という視点が弱くなってしまったのではないか。
厚労省も法務省も、決して悪意があったわけではないだろう。むしろ善意から出発した施策だったはずだ。
しかし、善意だけでは十分ではない。
行政広報に求められるのは広告的な巧さではなく、まず当事者への想像力であり、現実への誠実さではないか。
がん患者支援を伝えるなら、患者が置かれた現実への配慮を最優先にするべきだろう。更生保護を伝えるなら、犯罪被害者への視点を明確に示すべきだろう。
今回の二つのタイアップ中止を私は単なる広報上のミスとは思わない。
そこには、「成果を求められる行政広報の焦り」と、「現実に向き合う国民」との間に生じた深い溝が表れている。
そして、その溝に気づかない限り、同じような炎上はこれからも繰り返される。そう断言する。
「Yahoo!ニュース」より


