【今日のタブチ】私が尾崎豊を追い続けた10年――音楽プロデューサー須藤晃氏が教えてくれた「まずやってみよう」

音楽プロデューサーの須藤晃氏の訃報を聞いた。またひとり、惜しい方を亡くした。
私は2011年に、「BSジャパン開局10周年記念」「尾崎豊20thメモリアルイヤーズ特別記念」と銘打って、尾崎豊氏のドキュメンタリーとドラマのシリーズを制作した。ときはちょうど、東日本大震災が起こったばかりの3月。これらの番組の編集をしているときに、編集所の窓から見える東京タワーの先端がブルンブルンと揺れているのを「えらいことになっているな」と思って見ていた。
ちょうど、今週頭にその福島県双葉町に行ってきたばかりのこのタイミングでの須藤さんの訃報。何だか縁のようなものを感じている。

私は尾崎豊氏の番組を作りたいと思ってから、実現するまでに10年かかった。
まだ息子さんが幼いということで許可が下りず、大学生に入ったタイミングで実現がかなった。その間、ずっと焦る私に付き添い、時には叱咤激励しながら、企画の実現を後押ししてくれたのが、須藤さんだった。当時表参道にあった須藤さんの会社カリントファクトリーに何度足を運んだことだろう。
尾崎さんに会ったことがない私が、当時の尾崎さんを良く知る人々にインタビューをしたいと言い出したときも、須藤さんは裏でいろいろ動いてくれた。おかげで私は、当時のバンドのメンバーやマネージャー、ご家族などに話を聞き、尾崎豊像を構築してゆくことができた。

須藤さんというと様々なアーティストを育てたことや浜田省吾氏、玉置浩二氏などのプロデュースを長年手掛けたことで有名だが、そういった音楽ディレクターや音楽プロデューサーという一面とは違った面もあった。当時、株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーから依頼され企画プロデューサーをやっていた須藤さんからは、ある日事務所を訪れた私に言った。

「田淵さん、ドキュメンタリーシリーズをDVDで出してみない?」

私は一瞬唖然とした。
よしもとといえば、ダウンタウンのDVDを出せば飛ぶように売れている時代だった。しかし、よしもとが文化的な会社として発展してゆくためにはお笑いだけでは物足りない。ダウンタウンのDVDの隣に、ドキュメンタリーのDVDが並んでいるというのはいいのではないか。須藤氏はそう考えたのだ。
かくして、私は、私が作った作品だけのDVDをボックスで出すことになった。6巻セットだ。名前は仰々しく「世界秘境全集」となった。1年後には調子に乗って、第2集も出版した。全部で12巻。テレビ東京と契約し、私が手掛けたドキュメンタリーを再編集したのだが、再編集や再MAには、半年間もかかった。
だが、まったく売れなかった・・・。
半年もかけて作業した身としてはさすがに落ち込んだが、須藤さんは「いやあ、これは出すことに価値があるんですよ。よしもとはダウンタウンの作品が売れてるから、痛くもかゆくもないです」と、そんなことなどどこ吹く風だった。

須藤さんはそういった豪傑なところがある。
今振り返ると、須藤さんという人は常に「面白いと思ったらまずやってみる」という人だった。採算や前例を先に考えるのではなく、自分が価値があると思ったものを世の中に出そうとする。その豪快さに何度も驚かされた。
音楽界に残した功績はもちろん大きい。しかし私にとっての須藤晃さんは、企画に悩み、焦り、時には弱気になるたびに背中を押してくれた人だった。いまでも、顔をくしゃくしゃにして笑うあの表情が目に浮かぶ。心からご冥福をお祈りしたい。

今日のVoicyは、須藤晃さんとの思い出話や教わった数々のことについて話したい。
#080 10年間尾崎豊を追い続けた私の背中を押してくれた音楽プロデューサー・須藤晃さんの「まずやってみよう」精神
https://voicy.jp/channel/1027821/8306576

「佐賀新聞オンライン」より

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