【今日のタブチ】唐沢寿明が見せた“受け身”の凄み――ドラマ『無垢なる証人』が静かに突きつけたもの

テレビ朝日のドラマ『無垢なる証人』を観た。
韓国で高い評価を受けた作品のリメイクという点もさることながら、私には“どうしても観たい”理由が3つあった。

1つ目は、唐沢寿明氏が主演していること。
唐沢氏と私はたまたま同い年だが、これまで何度もドラマでご一緒させていただいている。その唐沢氏の主演作とあっては、観ないわけにはいかない。

2つ目は、監督が及川拓郎氏であること。
及川氏とも私は仕事をご一緒する機会が多く、長い付き合いになる。

そして3つ目は、自閉症スペクトラム症(ASD)がテーマになっていることだ。
このブログでも繰り返し書いてきたが、私はドキュメンタリーでASDを取り上げ、書籍も上梓してきた。日本のドラマは、こうした発達特性や精神的な課題を正面から扱うことを、長らく避けてきたきらいがある。だからこそ、いまの日本のドラマがこのテーマにどう向き合うのかを、きちんと観ておく必要があると感じた

では、肝心の作品はどうだったか。
結論から言えば、実に素晴らしかった。しかも、ASDを単なる設定に終わらせることなく、作品の核となるテーマとして描き切っていた。

派手なアクションや目まぐるしい展開があるわけではない。
弁護士が、ある殺人事件の真実を地道に掘り下げていくだけの、一見すれば“地味”な物語だ。しかし私にとっては、間違いなく“心を大きく揺さぶられる”作品だった。途中からは涙腺が完全に緩み、号泣した場面も一つや二つではない。

その最大の理由は、やはり唐沢氏の演技力にある。
久しぶりに、山崎豊子作品のころを思い出させるような、唐沢氏の“重厚な”演技表現を堪能した。

ASDを抱える少女・希美(演:當真あみ氏)に「おじさんはいい人ですか?」と問いかけられたときの、主人公・長谷部弁護士(演:唐沢氏)の、あの何とも言えない表情。まず、そこでやられた。
その表情を安易にアップにしなかった──及川監督の判断と覚悟も見事だった。
この顔のカットを見るだけでも、このドラマを観る意味がある。

さらに「私は普通とは違う子どもですか?」と希美に言われたときの、長谷部の顔。ここで完全にノックアウトされた。

今回はとりわけ、唐沢氏の“受け身”の芝居が秀逸だったと思う。
私が手がけた『ハラスメントゲーム』では、唐沢さんの軽快さやテンポの良さが前面に出た、“グイグイ押してくる”芝居だった。それとは対照的に、本作では徹底して受けに回る。
唐沢氏の凄さは、この正反対とも言える表現を、どちらも高いレベルで成立させられる点にある。漫才で言えば、ボケもツッコミもこなす“両刀使い”といったところだろう。

希美を演じた當真あみ氏も、非常に健闘していた。
ASDについて相当勉強したに違いない。「相手の表情を読み取るのが苦手」「音に敏感で大きな音を怖がる」といった特性が、決して誇張されることなく、自然に伝わってきた。唐沢氏との間に流れる空気も、とても良かった。2年前の撮影というから、当時17歳。末恐ろしい……。
もっとも、唐沢氏ほどになると、“相性”という言葉自体があまり意味を持たなくなるのだが。

そして、これら俳優陣の持ち味を最大限に引き出していたのは、言うまでもなく監督の力量である。

ここで一点だけ、あえて苦言を呈しておきたい。
無罪となって釈放された家政婦が、希美を脅す場面がある。私はオリジナルの韓国版を観ているが、少なくとも原作では、このような形で証人に直接干渉し、脅す描写はなかった。このシーンと設定は、正直なところ、かなり無理があると感じた。「さすがに、それはやらないだろう」と思ってしまったのだ。
もし日本版の脚本段階で付け足された演出だとしたら、完全に“蛇足”である。「何か事件を起こさないと視聴者が飽きる」という発想──これは日本のテレビが長年引きずってきた悪癖だ。

このドラマを、単なる法廷もの、弁護士もの、あるいはサスペンスとして観てはいけない。
希美との交流を通して、長谷部という男が少しずつ“人間性”を取り戻していく再生の物語である。
他者の価値観や特性を受け入れ、自分に欠けているものを補っていく。その姿は、“多様性”の時代における“他者との共生”のあり方を、静かに、しかし確かに教えてくれる。

とても素晴らしいドラマだった。

「テレビ朝日」公式番組HPより

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です