【今日のタブチ】人員削減計画、AI生成楽曲、SNS禁止……AI時代の“不都合な風潮”――奪われているのは経験の「入口」だけではない
アメリカで、AIを理由に人員削減計画が加速しているというニュースを見た。
由々しき問題だと思った。
民間雇用調査会社チャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマスによると、1~5月の合計で8万7714人と、すでに昨年通年の5万4836人を上回っている。
IT大手メタやマイクロソフトなどで実際に再編が進んでいる。
私が懸念しているのは、高度なスキルの雇用に関してではない。また、いま雇用されている人が人員削減をされるということではすまない、深刻な問題がそこには潜んでいると考えている。
それは、経験が浅かったり、新人として仕事を始めようとしている労働者が担う業務をITが代行してしまい、門戸が閉ざされるということだ。このことによって何が起こるか?
技術といったものは、先駆者や前任者から後の世代に引き継がれてゆくものだ。そうやって、素晴らしい文化が継承されてきたし、それが人類がほかの動物と異なる特性だ。しかし、AIに入り口を奪われてしまうと経験を積んで熟練してゆくというプロセスがなくなってしまう。新人や若年者は失敗もするだろう。しかし、失敗と経験を繰り返すことで、人間は成長してゆく。そんな道を狭めることになりかねない。
AIネタといえばもう一つ、こういうニュースも気になった。
日本の音楽著作権を管理するJASRACがAIによって作られた楽曲は「著作物ではない」という判断を出した。例えばある音楽家がAIに命じて作曲などをおこなっても、その曲は著作物ではないため、著作権の保護対象にならないということだ。
これは、「芸術活動にAIを使用する」際の大きな指針となると評価している。
だが、実際のアーティストたちのなかには、「一部に使ってもダメなの?」「過敏になり過ぎてないか?」というふうに疑問視する意見もあるだろうと想像する。
そしてもうひとつ、これはSNSの話だ。昨年のオーストラリアに続いて、イギリスも16歳未満のSNS利用を禁止する方針だという。これにはゲームサイトなどのオンラインサービスも含む。さらに、AIチャットボットについても未成年への規制強化が検討されている。
私はこの国際社会の風潮を危惧している。もちろん、それほど問題が深刻化しているということだと思うが、国が個人のこういった行動を禁止するという施策に違和感を抱いてしまう。管理社会を彷彿とさせるからという理由もあるが、最も危惧するのは、「国に禁止されたから使わない(使えない)」のではなく、自分自身で「使う使わない」も含めて決定し、自分でコントロールできなければ意味がないのではないかと思ってしまうからだ。
今回の国策は、国民から「考えることを奪っている」ように思えて仕方がない。そこから生まれるのは、何だろうか。
以上のニュースを並べてみると、バラバラの問題のように見えて、実は同じ方向を向いているように思える。
AIが奪うのは単なる仕事ではない。“入口”である。
制度が揺るがしているのは単なる権利ではない。“創作の定義”である。
国家が制限しているのは単なる行動ではない。“判断の機会”である。
つまりいま起きているのは、人間の自律性が複数の方向から同時に削られているということではないだろうか。
経験する機会を失い、
創作の主体であることを揺るがされ、
自分で選ぶ機会すら減っていく。
それでも私たちは「便利になった」「安全になった」と言い続けるのか。
問われているのは、AIの是非でもSNS規制の是非でもない。
人間が、自分で考え、経験し、選択する主体であり続けるのかどうか――その一点なのだ。
「ABEMA news」より



