【今日のタブチ】「“核のごみ”を知らんぷりはできない」――常陸大宮市長の決断が突きつけた現実

茨城県常陸大宮市の鈴木定幸市長が、高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の最終処分場選定に向けた文献調査の受け入れを表明した。このニュースを見ても、「何のことだろう」と思う人がいるかもしれない。

核のごみとは、原子力発電所で使い終わった核燃料を再処理したあとに残る高レベル放射性廃棄物のことだ。強い放射能を帯びているため、人間の生活環境から長期間隔離する必要がある。そのため国は地下深くに埋設する「最終処分場」の建設を目指している。しかし、どこに造るのかという問題は長年にわたって難航してきた。
今回、常陸大宮市が受け入れを表明したのは、あくまで最初の段階である文献調査だ。実際に最終処分場を造ると決まったわけではない。とはいえ、市民の中に不安や反発の声があることも十分理解できる。自分たちの住むまちが候補地として名前が挙がることに抵抗を感じるのは当然だろう。「もっと丁寧な説明が必要だ」という意見ももっともだと思う。
だから私は、この問題を単純に賛成か反対かで語るつもりはない。
しかし、そのうえで、私は鈴木市長の決断を一定程度評価したいと思う。理由は、市長が語ったある言葉が強く心に残ったからだ。

「安価な電力の副産物である高レベル放射性廃棄物を知らんぷりはできない」

この言葉には重みがある。
原発をどう考えるかは人によって意見が異なるだろう。しかし、私たちはこれまで原発によって生み出された電力の恩恵を受けてきた。そして今も大量の電力を消費しながら暮らしている。
最近ではAIが急速に普及している。私自身も日常的に利用している。便利だ。調べ物もできる。文章も書ける。仕事の効率も上がる。しかし、その便利さを享受する一方で、その裏側にある膨大な電力消費について考える機会は決して多くない。AIを動かす巨大なデータセンター。半導体工場。通信インフラ。私たちは便利な生活を手に入れた。しかし同時に、その代償としてさまざまな課題も抱えている。
鈴木市長の言葉は、まさにそこを突いているように思えた。
便利さだけ享受して、その結果生じる問題からは目を背ける。電気は使う。AIも使う。快適な生活も求める。しかし、その副産物については誰かが何とかしてくれるだろうと思う。
それで本当にいいのだろうか。
「知らんぷりはできない」
市長の言葉は、核のごみの問題だけではなく、私たちの生き方そのものを問いかけているように聞こえた。

この言葉を聞いて、私は自分が長年携わってきたドキュメンタリー制作のことを思い出した。
私がドキュメンタリーを作ってきた原点も、実は同じところにある。
世界には、私たちが知らない場所がある。私たちが暮らす日常とはまったく異なる環境の中で生きる人々がいる。遠く離れた辺境の地で暮らす人々。厳しい自然と向き合う人々。日本では考えられない価値観や文化の中で生きる人々。私はそうした現実やマイノリティの存在を見たとき、「知らないままではいられない」と思った。そして、その人たちの暮らしや考え方、人間の営みの力強さや多様性を視聴者に伝えたいと思った。それが私のドキュメンタリー制作の原点である。
ドキュメンタリーとは、単に珍しいものを紹介する仕事ではない。そこにある現実を見つめることだ。
できれば見たくない現実も含めて、自分たちの世界とつながっていることを伝えることだ。核のごみの問題も同じではないだろうか。
処分場がどこに造られるべきかという議論は当然必要である。市民への丁寧な説明も欠かせない。しかし、その前に、私たち自身が、この問題の存在そのものから目を背けてはいけないと思う。
常陸大宮市の問題だから。原発立地自治体の問題だから。遠い地域の話だから。そう考えた瞬間に、また「知らんぷり」が始まる。
私たちは電気を使っている。その恩恵を受けている。であれば、その結果として生じた課題についても、自分自身の問題として考える責任があるのではないか。

鈴木市長の決断が正しかったのかどうか。その評価はこれからも議論されるだろう。だが、少なくとも、市長が投げかけた「知らんぷりはできない」という言葉には、耳を傾ける価値がある。
私はそう思う。

今日のVoicyでは、「知らんぷりはできない!」と思って秘境の取材に出かけていた私の想いについてお話ししています。ぜひお聞きください!
#065 「知らないままでいていいのか」――パプアニューギニアやアフリカのドキュメンタリーで私が学んだこと
https://voicy.jp/channel/1027821/8260499

「NHKニュース NHK ONE」より

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