【今日のタブチ】自衛官が自民党大会で国歌──「国民はなめられている」と私が感じた理由とは
私は自衛隊反対論者ではない。
自衛隊の存在そのものを否定するつもりはないし、自衛官個人に向けて感情的な批判をする気もない。
だが、今回の出来事──自衛官が自民党大会で国歌を歌った件については、一国民として看過できないものを感じている。
問題は「国歌を歌ったこと」そのものではない。
ましてや「自衛隊は是か非か」「国歌斉唱は良いか悪いか」という、いつもの陣営分けの話でもない。
私が重く受け止めているのは、この行為をめぐって、一国の首相が「政治的行為ではない」と断言し、防衛行政のトップが、それを支える説明として、あまりに無理のある言葉を積み重ねていることだ。
高市首相は、「私人として民間から依頼を受けた」「国歌を歌うこと自体は政治的行為に当たらない」と述べた。
一方で、小泉防衛大臣は、自衛官が制服姿だった点について、「常時着用義務がある」と説明した。この「常時」という言葉遣いに至っては、率直に言って愚かだと評価するしかない。
「常時」とは何か。
この説明を文字通り受け取れば、自衛官は近所へ買い物に行く時であろうと、私的な外出であろうと、常に制服を着ていなければならない、という話になる。
実際の運用がそんなものでないことは、誰でも知っている。
それにもかかわらず、この表現を使ったという事実は、説明を尽くす姿勢よりも、「逃げ切るための言葉」を優先した結果に見えてしまう。
今回、自衛官は「歌手として名の知られた存在」、いわゆる「スター自衛官」として自民党大会に招かれている。
その人物が、制服姿で、特定の政党の大会という場に立ち、国歌を歌う。
この行為を「私人によるもの」「政治的ではない活動」と整理することが、本当に可能なのか。
そもそも、特定の政党に招かれて活動することが「公務」と言えるのか。
そして、その場が「政治的な場所ではない」と本気で言い切れるのか。
誰が、どう見ても政治のど真ん中にある空間だ。
そこで、誰が見ても自衛官だと分かる制服姿、しかも広く知られた人物が国歌を歌う。
それが社会にどのような印象を与え、どのような波紋を呼ぶか。
その想像が、まったく働かなかったのか。
もし本当に想像できなかったのだとすれば、統治に携わる人間としての感覚に疑問を抱かざるを得ない。
しかし、想像できていたにもかかわらず、「問題ない」「政治的ではない」と言い切ったのだとすれば──国民は、あまりにもなめられているのではないか。
私は、この出来事の是非そのものを問う前に、首相が「政治的行為ではない」と断言したことを、何よりも重く見ている。
また、防衛大臣という、国を守る組織の長が、言葉として成立していない説明を公にしたことを、深刻な問題だと感じている。
これは「右か左か」の話ではない。
自衛隊の存廃を巡る議論でもなければ、国歌斉唱の是非を論じているのでもない。
国家権力を担う側が、国民の常識的な感覚をどれほど軽視し、言葉をどれほど雑に扱っているのか。
その姿勢そのものが問われている。
説明は、国民を納得させるために行われるべきものだ。
最初から「突っぱねるため」「押し切るため」の言葉で済ませてしまえば、残るのは不信だけだ。
今回の件に感じる違和感は、個々の立場や思想を超えた、もっと根本的で、もっと由々しきものだと思っている。
その事実を私たち国民一人ひとりが、しかと受け止めるべき出来事だ。
「日テレNEWS NNN」より



