【今日のタブチ】“再審制度見直し”でなぜ自民党部会はここまで揺れているのか――検察の「抗告禁止」が外された、その重大な理由
再審制度の見直しをめぐって、自民党の法務部会が大揺れに揺れている。
きっかけはシンプルだ。法務省が示した修正案に、「再審開始を決めた裁判所の判断に、検察が文句を言えなくする」という肝心の部分が、盛り込まれなかった。
法律の話に聞こえるかもしれないが、これは決して難解な専門論争ではない。
多くの議員が声を荒げた理由も、論点も、実はとても分かりやすい。
そしてこういった、地味な話題を一面トップに持ってきた東京新聞の矜持には拍手を送りたい。
しかし、同時に「なぜここまでこだわるのか」「もし、この検察抗告禁止が認められなければ、どういったことが起こるのか」と率直な疑問を持った人も多かったのではないだろうか。
そもそも再審とは何か。
一度、有罪が確定した裁判を、もう一度やり直す制度だ。新しい証拠が出てきたり、「これはおかしい」という疑いが強くなった場合に、無実の人を救うために用意されている。
問題は、その「やり直し」を認めるかどうかが決まったあとだ。
地裁が「再審を始めるべきだ」と判断しても、検察は「納得できない」と異議を申し立てることができる。これが抗告という仕組みだ。
抗告が出ると、話は上の裁判所に持ち越され、また判断を待つことになる。
さらに、もう一度抗告が出ることもある。こうして再審が始まるまでに、何年もかかってしまう。
実際に、再審開始が決まってから、裁判が動き出すまでに10年近くかかった事件もある。
その間、当事者は高齢になり、証人の記憶は薄れ、場合によっては命を落とす。時間そのものが、救済を食い潰していく。袴田事件などは記憶に新しいだろう。
だからこそ、今回の見直しでは「再審開始が決まったら、検察はそれ以上引き延ばせないようにするべきだ」という声が強く出ていた。
これが「検察抗告禁止」の意味だ。
では、なぜ法務省は、ここをどうしても入れたがらないのか。
理由は、ざっくり言えば「決まった裁判を簡単に揺るがせてはならない」という考え方だ。
刑事裁判は、原則として三段階の審理を経て、有罪が確定する。
法務省や検察の側から見れば、「三回もチェックして決まった結論を、後から簡単に覆すのは危険だ」という感覚になる。
しかし、自民党部会で噴き出したのは、そこへの強い違和感だった。
再審は、普通の裁判の延長ではない。何十年も経ち、ようやく「これはおかしいのではないか」と認められた、例外中の例外だ。
その場面でもなお、「時間をかけて慎重に」と言い続けることは、本当に人を救う制度と言えるのか。
ここで、もう一つ見逃せない背景がある。
日本では、起訴された事件のほとんどが有罪になる。検察が「勝てる」と判断した事件しか裁判に持ち込まない仕組みが長く続いてきた。
その結果、裁判の場では、検察が圧倒的に有利な立場に立つ構造が出来上がっている。
再審とは、本来、その強い検察権限が間違いを犯した可能性を点検するための制度でもある。そこには、検察という組織の強い職業意識も影を落としている。自分たちが正しい判断をしてきたという自負が強いからこそ、過去の判断が否定される局面には、慎重になり、時に抵抗が生まれる。そんな場面があるなかで、同じ検察に何度も止めるカードを持たせていいのか。自民党部会の議論は、そこに行き着いている。時間を使って門前払いをしているのではないかという、議員たちの怒りだ。
では、もし今回も検察抗告禁止が認められなかったら、何が起きるのか。
答えは厳しいが明確だ。これまでと、あまり変わらない。
修正案では、「よほどの理由がある場合に限る」「なるべく早く判断するよう努める」といった言葉が並んでいる。
だが、それを守らなかった場合に、止める仕組みはない。結局、抗告されれば、時間はまた延びる。
「制度は直した」「配慮はした」
そう言われながら、現場では同じように待たされ、救われない人が出続ける。過去に何度も見てきた光景だ。
今回の再審制度見直しは、冤罪を生まないため、そして冤罪を放置しないためのものだったはずだ。その核心が、「引き延ばしをどう止めるか」にあることは、多くの人が共有している。
それでも、そこを外した修正案が出てきた。
だから自民党部会は荒れた。感情論ではない。制度の目的と、示された中身が、噛み合っていないからだ。
再審制度は、「あること」よりも「実際に使えること」が大事だ。
今回の議論は、その当たり前の原点を、私たちに突きつけている。
「TBS NEWS DIG」より


