【今日のタブチ】何でも「クールビズ」でごまかしていないか――都庁“短パン許容”が問いかける「曖昧さ」という危うさ

東京都がこの夏、暑さ対策の一環として職員の短パン着用を認めたという。時代の流れからすれば、こうした柔軟化を歓迎する声が出るのも理解できる。猛暑が年々厳しさを増すなかで、「我慢」ではなく「合理性」を優先しようという方向性自体に異論はない。

しかし、である。そのうえでなお、私はこの動きに少なからぬ違和感を覚える。

その違和感の背景を考えたとき、さらに気になるのは、今回の動きが必ずしも「世界標準」とは言い難い点である。
例えば、マレーシアでは政府施設において短パンでの入館が認められておらず、一定の服装規範が厳格に運用されている。いわば「公共の場にふさわしい装い」が制度として明確に意識されている例だ。これは単なる文化差ではなく、「公共の場における信頼の表現」をどう位置づけるかの違いとも言える。
また欧州の多くの場面でも、たとえカジュアル化が進んでいても、短パンは“外したライン”として扱われることが少なくない。いわゆる「スマートカジュアル」でさえ、短パンは基本的に許容されていないのが現実である。
翻って日本のクールビズを見れば、本来はノーネクタイ・ノージャケットといった範囲から出発したものであり、その後の拡張においても、ハーフパンツのような露出の高い服装は基本的に慎重に扱われてきた経緯がある。

つまり今回の都の判断は、単なる延長線上の変化というより、「どこまで許容するのか」という基準そのものを動かす動きと見るべきだろう。

それは単純に「短パンがけしからん」という話ではない。論点はもっと根底の部分にある。
都庁という場所が、何を担っているのかという点だ。
言うまでもなく、都庁は単なるオフィスではない。都民にとっての窓口であり、行政サービスの最前線であり、いわば「公の顔」である。その場に立つ人間が、どのような装いであるべきか——これは個人の快適さだけで決めてよい問題ではないはずだ。
もちろん、外回りや屋外業務など、現場環境に応じた服装の工夫は必要だろう。一律に否定するつもりはない。だが、来庁者と向き合う場面において、どのような印象を与えるかという視点は、どうしても避けて通れない。

服装とは、単なる機能ではなく、相手に対するメッセージでもある。
きちんとした格好をするという行為は、「あなたにきちんと向き合っている」という意思表示でもある。そこにある種のリスペクトが宿る。その感覚をどこまで維持するのか——ここが今回の議論の核心ではないかと私は考える。

さらに言えば、「クールビズ」という言葉のもとに、あまりに多くのことが一括りに正当化されてはいないか
ネクタイを外す、ジャケットを脱ぐといった合理化とは次元が異なる話が、同じ文脈で語られているように見える。この“拡張”に、どこか歯止めのなさを感じる。

そもそも、庁舎内は一定の空調環境が保たれているはずだ。もし問題があるとすれば、それは服装ではなく温度設定や運用の課題として議論すべきではないか。運用の工夫で対応できる余地も、本来は検討されるべきだろう。手間はかかるが、「公の場でどう見えるか」を守るための選択肢としては、検討に値するはずだ。
結局のところ、私が引っかかっているのは、「どこまでを合理化し、どこからを守るべき基準とするのか」という線引きの曖昧さである。時代に合わせて変えていくべきものは確かにある。しかし同時に、変えてはいけない部分もある。行政の信頼性や品位といったものは、そう簡単に軽く扱っていい領域ではない。
この問題は、短パンの是非にとどまらない。公共における“装い”とは何か。その基準を私たちはどこに置くのか。クールビズという言葉の軽やかさの裏で、その問いが置き去りにされているように見えてならない。

最後は制度やルールの問題というよりも、個々の判断に委ねられる部分なのかもしれない。だからこそ、本来はこうしたことを細かく議論しなくてもよい状態であってほしい――そう感じている。

「産経ニュース」より

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